それは、サスティナブルでなければいけないけど、それは助けない理由にはならない

それは、 サスティナブルでなければならない。

「助けてくれて、ありがとう」

には

2つある。

 

何かを一度、得ることができて

そして完結するものがある中で

 

一度、助けてもらっても

それで終わりではないのだということを

知っている人

 

知らない人

 

 

 

ただ、それは、これからもずっと続いていくものなんだということを

理解してくれている人が

こんなにも、こんなにも少ない中で

 

一時手を差し伸べて、それで決して

誰かが助かるわけではないことを

皆が、理解する日が来ることを

 

ただ祈る。

 

 

自分の仕事もまた、同じだと思う。

そのひとの、いのちが尽きるまで、そのひとの、人生は、続く。

 

たとえ一度、なにかのアドバイスで的を得たとしても

それは何の解決にもならないのだと思う。

 

生きるとはえてしてそういうもので、

「助ける」もまた、そういうものなんだよ。

 

 

軽々しく手を出せば、ずっと助け続けなければいけないかもしれない、それならば、助けない。

日本の、そういう話を聞いて

そして、絶望した。

 

たとえそれがずっと続かなかったとしても、手を差し伸べること

それには、勇気がいる。

 

飼うつもりがない猫に、餌をやって居着いたら、まもなく引っ越しして、餌をあげる人間がいなくなったら、彼らは死ぬのか?

 

それでも、できることをやる勇気をもってほしい。

 

自責の念や、無責任さや、苦しみや、誰かを本当に大切にしたいからこそ

簡単にコミットできないこの国の性質も

そのすべてを越えて

 

手を差し伸べることをしていかなければ

この国は、終わりだと思う。

 

 

助けてくれて、ありがとう

 

と言いたいんだよ。

毎日、毎日、毎日

わたしは生まれてこのかた人に迷惑をかけなかった日はなかったと思うくらいに

人の助けをもらってきたから。

 

 

でもなぜそこまでひっくり返って、死の淵すれすれで生き続けないといけないのか

 

 

それは、ただ、

 

「それが、ずっと続くものなんだ」

 

それを理解しながらに、手を差し伸べてくれる人がいなかったからだ。

 

今日、雨露をしのぐ場所が見つかったとて、朝外に出て、そしてまた雨が降れば

わたしはまた、どこかで誰かの家をかたっぱしからノックし続けて

その場所を、探さねばいけない。

 

 

発達障害ってのはね、なんてことはないことだよ。ちゃんと知れば、本当ぜんっぜん普通に生活ができるものだよ。

 

ただ理解をしてもらえないから

わたしは、本当に重度の障害があるような日々しか送れなくて、ぬくぬく、屋根のあるおうちで安心して笑っていられるはずのこの国で

こんなにも殺伐とした毎日を送らなければいけないこと

 

そして、わたしだけじゃなくて

多分ものすごい多くの人たちが、同じ苦しみを抱えてんだってこと

 

1世代あとの、未来へと続くこどもたちの未来が

このままじゃ絶望的だってこと

 

 

 

気まぐれに手を差し伸べろなんて言わない。

ただ、知ってるだけでいいんだよ?

 

 

たとえ今、自分が今だけ誰かを助けたとて、その人にはこの先も一生助けがいるんだ。

だから、今、自分ができることなんて、無力なんだ。

 

それを知った上で、

 

ただ手を差し伸べたら、それが

この世界のみすぼらしいほどに貧しい豊かさを

ほんとうの豊かさに変えることが、できるんだよ。

 

 

 

 

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