55 宇宙飛行士

山下さんの手は、暖かくて、大きくて、それは、いつか何年もまえに初めて会ったときから変わらなかった。

胸が苦しくて、息ができなくて、声も出なくて、どうしようもなく差し出した手を

茶化すようにもし何か言われていたら、わたしはもしかしたらどこにもいけなかったかもしれないと思う。

わたしがこの人生で、自分でもうんざりするほど何百回と

助けを求め続けたたった1人の人。

 

わたしが、なぜ必死で叫んでも届かない声を

かけ続けたのか、その答えはいつも

彼がそばにいるときにわかる。

 

彼は何も言わなかった。

差し出した手をただ取って、左手の手首についたごつい腕時計が、わたしの細い指に当たって、その凸凹した距離が、いつも一ミリづつ埋まっていったり、またパリンと壊れて離れたりし続けた6年だった。

 

息ができないから、背中をたたいて欲しいと言ったわたしの、華奢な背中をトントンと静かに叩き続けて、その優しさは幾分かわたしの呼吸を楽にして、誰かが止めなかったらきっと、何時間でも叩き続けるんじゃないかと心配になるくらいだった。

 

山下がどういう人か、わたしはよく知っていたから。

疲れるまで背中を叩き続けて、持てるだけの優しさを

その瞬間に注ぎ込むから

それを自分で、止められないから

だから、誰とも一緒にいられないのだと。

いつもいつも、私の元を去ったのだと。

 

 

トントントントンと背中に鳴り響く音を聞きながら、まもなくわたしのUネックのアイボリーのTシャツの中に手を入れて、素肌を叩きはじめたのも

笑いそうになったけど

そんな元気もなくて

そのままその音を聴いた。

 

 

どうか、彼がまた

いなくなりませんように

そう

祈るようにして

 

「ありがとう」と言って

その手を止めて

 

 

そのあともずっと

手を握り

何もせずそこに、いてくれた。

 

 

どうしてこの人は、わたしを「生かす」のがこんなにも

上手なんだろうと

いつも、思ってきた。

 

自分が自分の命をハンドルするのはとても、とても、とても難しく

火をつけてもつけても消えてしまうくらいに弱く

がんばっても、がんばっても

それは、消えてしまう

 

山下さんは、いとも簡単にわたしの身体をひょいと持ち上げるみたいにして

その命をどうやって燃やしたままにするかを知っていて

この人が、自分のこの先の人生のすぐ横に

いてくれたら

どんなにか、と

 

いつか彼を失って絶望したときから変わらずに

そう思った夜だった。

 

 

力が入らない、わたしの身体を抱きかかえるように起こし

「宇宙探索から戻ってきた宇宙飛行士みたいだな」と言い、わたしは笑った。

 

 

何度も何度も

まもなく息の根が途絶えてしまうと恐怖を感じながらすごした時間のあとで

彼がそこにいて、その温もりと

優しさと

もうどこにも行かなくていいという安心の中で

 

やっと、これで息を引き取ってもいいんだ、とホッと思いながら

わたしは、静かに眠った。

 

 

 

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