薄い軽快な夢をみたけど、
よく眠れた日だった。
数日間おっきな浄化が続けて起こって、でも痛々しいのじゃなくて、
ほんとうにたくさんの気付きや愛に満ちたものだったと思う。
最近は、むりくり「なんとかこれを乗り越えよう」と頑張ってた時期を経て、任せられる癒しと浄化は外注外注と、高次のひとたちにおねがいするので、現実化が早いらしい。
おもったことが現実になるというのは、もともとは誰にも与えられてる力というか、そもそもは個人的なパワーのことを指すわけじゃなくて、原理というか、仕組みのことなんだけどね。
そこにいろんな感情だとかエゴだとか、わたしたちの思考が入るから
いろいろややこしいことになるというだけで。
昔から、やりたいことを叶える力があるとか、現実化する力があるとか、いろんなとこで言われてきたけど、
その度に、それは誰にとっても当たり前なことだと思ってて、本当あんまり聞いてなかった。ていうか基本、同じことって聞いても忘れるから。
(一回こっきり起こったりすることはなぜか詳細に記憶するらしいということが色々わかってきた)
でもやはり、そういう意味で普通の人よりもその力が強いというのは、あまり他のことを考えるキャパがもともと少ないから。
発達障害という言い方が適切なのかは別にして、自分の「つくり」にやっぱり関係している。
なんでもかんでも、力づくで強引に、自分の思った通りに進めてく
と嫌な誤解を受けることも、ある。
そういうときはとても悲しかったり、いろんな勘違いをされるときもあるけど
ま、説明してわかることとそうでないことがあるのは事実だ。
知っているひとは、私がそういう人間じゃないことをよく、知っててくれてるから大丈夫、といつも思うようにしてる。
雨の予報だったけど、半日は青空が見えそうな今日
眠る前に過去に遡って、あのときのことをごめんねと空へ還して
泣いて、
泣いて、
それでもそばにいてくれるみんなにありがとうが溢れた。
小さな息子が、日に日に力強くなって、
いつか赤ちゃんのときに
「ママ、だいじょうぶだよ」
とヨシヨシしてくれていたのが
本当に
「ママ、ママが忘れても、ママが疲れて途中で終わっても、僕ができるから大丈夫だからね」
と普通に言うようになった。
「変わりたくない」
と根っこで思うことは、
そのくらい今が大事で幸せだってことだ。
それってなんて、幸せなことじゃん
と思ったよ。
変わりたくないくらいに、大切で抱きしめていたい全てをめいっぱい抱いて、味わい尽くして、
それで次にゆけばよい。
きっと今日も、いい日になる。