ウミノクルシミ

なにかをつくる仕事だったり、

うみだす役割のひとは、きっとその世間でいうところの

「産みの苦しみ」というやつを背中合わせに携えながら生きてるか、

または無限の泉が湧き出でるかのように楽で楽しいのどちらかだと思う。

後者はきっと、今の人生でそういうギフトを与えられるほどに、いつかそのやけつくようなアルケミーを繰り返し終えて、生まれてきてるはずだ。

 

クリエイティビティが、枯れるときの

その悲しさや恐怖は、何かを作ったり生み出したりすることが無い人間にとっては、ほとんど想像の余地がないほどの戦慄ものだと思う。

 

この世界でおそらく大半のつくるひとが、「つくるひとの模倣」か「生み出すひとの模倣」をしている中で、その模倣の手本になるみたいな本物のひとがいる。

または、本物に向かおうとするひと。

 

そういうひとたちは、人々へインスピレーションを与えていく役割なので、先頭めがけて歩み続けていかないといけない。

それがもし平坦で楽チンな道だったら、むしろそれは、まがいものだ。

 

”まがいものに、なりませんように”

 

もしも自分のまわりの全てが、模倣にすぎないのだとしたら

それを眺め続けて、自分もそうならないかと不安になるのも無理はないけれど

多分、さいしょからまがいものの人たちって、何かを真似するしかできない人たちって、全く別の役割でそこにいる。

そもそも多分、自分がまがいものだってことに気づいてないと思う。

憧れの職業に自分がいることが、嬉しくて楽しいだろうし。

 

だからまがいものになる心配じゃなくて、

その自分の中に生まれるクリエイティビティを、とことん苦しみながら純化していくことに全てを費やすといいと思う。

 

その苦しみは、本物を磨いていく中で避けては通れない苦しみだから。

もちろんなにかを生み出すことは、必ずしも苦しいとは限らない。

素晴らしい瞬間にも満ちている。

 

でも多分

山登りのひとがなんで山登るんだって言われて

そこに山があるからだって答えるみたいにして

 

なんで絵描くんだって言われたら

そんなことしらんよ。色が浮かぶんだよ。

なんで作曲するんだって言われたら

そんなことしらんよ。音が聴これるんだよ。

 

ってなるはず。

 

絵描きになりたくて、描く人は最初から模倣なんだ。

音楽家になりたくて、音を鳴らす人は最初から模倣なんだ。

 

絵描きは、絵を描いてない時からおそらく絵描きで、

音楽家は、音を鳴らしていない時から音の世界に住んでいる。

 

 

それが、一般のひとからみるときっと

憧れや、才能や、すばらしいギフトだとそう見えるけれど

それが

どれくらいに苦しいもので、一生続く旅で、あなたにしかできないからこそあなたがやってる尊いことなんだってこと

わたしは知ってるよ。

 

 

 

 

 

 

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