そういえばどこのお医者さんでも、どこの支援センターでも、福祉や医療関係のみなさんに必ず言われたことば
「発達障害の診断、受け入れるまでに時間がかかりますから」
多分自分が親で、子供に障害があることがわかったときや、たとえば事故で、身体の一部が不自由になってしまったりしたとき
きっと誰もが、それを受け入れる時間を多かれ少なかれ過ごすのだと思う。
ちなみに、このセラピストの仕事でみなさんの癒やしに携わってきた中で、自分自身も含めてその「受け入れる」にみんながどれほど七転八倒するのかはずっとみてきている。
そういう意味で「本当の自分」を受け入れたりとか、「変化」に適応していくというプロセスがどれほど大きなエネルギーを要するのかは、よく知っているつもりだ。
そんなわけで、しとしと泣きながら相談に言ったりとか、混乱しながら話すわたしでも、割とみんな「え!まだ診断受けて一ヶ月!?それで自分のことそれだけ的確に説明できるって凄い」と言われたりした。
これは多分、セラピストとして自分の感情や意識を端から端まで解体しつづけてきた結果だと思う。
がしかし、感情や意識(潜在意識・顕在意識)のことを熟知していても、「認知・認識」については無だった。
自分がどれだけ言語を理解できてなかったかとか、どれだけ混乱してたかにはまったく気づいてなかったから。
そんなわけで今は、知覚や能力やコミュニケーションをするときに、何が起こってるのかを一個づつ解体し始めたところなのだ。
わたしはいまでも、自分の「すべて」をうけいれているとは全然思ってなくて、今も大好きな紅茶を淹れて、湯をいれたことを忘れて抽出時間を超えてしまうときに、ちくしょう、ちくしょうと自分の記憶の悪さを呪うんだけど😅
そんなのは日常茶飯事だとしても、やっぱり最初の一、二ヶ月のカオスはかなり凄くて、調子がかなり悪かったのもあるけど、とにかく恐怖だった。
そのなかのひとつに、やっぱり「言葉」が弱かったということを先生から言われたことは大きかったと思う。
自分が評価されてきた部分で、得意だと思ってきたところに
さらりと先生が、
「通訳・翻訳が必要な状態ですね」
と言ったこと。
それはボディブローみたいにあとからじわじわ効いてきた。
自分のコミュニケーションを、丁寧に知れば知るほど、無理して取り繕うのをやめればやめるほど、本当にそうだったからだ。
一度パニックを起こし続けてるときに家族が戸棚を整理しようとして、
「本は本棚を買ったほうがいいんじゃないか?と言ってきて、わたしは
「全部捨てるんだよ、どうせ読めないんだから」と泣きながらヒステリックにそれを投げ捨てた。
そこには、読まない本しか無かったんだけど、それが実は上手に読めない、ということがまだ受け入れられなかった。
それまでは、いつか読むものなんだと思っていたのが、実は、一生そんな日は来ないのかもしれないと自暴自棄になった時。
本当に悲しくて、いつか本を出したいと思っていた自分の夢が、叶わないと思い知らされ、突きつけられたみたいで悲しかったんだと思う。
それから少し経って、わたしは、文字や言語がとても好きだと素直にそう思うようになった。扱うことが下手なときがあっても、フランス語を勉強して、中国語を勉強して、英語を一生懸命勉強した20代。
ことばが好きで、いつもそれを追いかけて、好きすぎて行き詰まるばかりなのだとそう思ってきたけれど、なにはともあれ好きでいていい。
わたしは本をそのまま大事にして、1ページも読めなかったとしても、本を大切に持っていることは素敵なことだとそう思った。
下手だから、なにかを諦める必要はないと、悟った時間。
自分が文章を書いたり発信して、そしてその後で、2度とそれを思い出せず、2度とそれを読めなかったとしても。
それでも、きっとわたしなりの、言葉との関わり方が必ずあるだろうし、いまたくさんのひとの力を借りて、わたしはもう一度
言葉とともに、歩き出そうとしてる。