泣きそうなときのためのお話

” purified ”  by Lee

 

 

 

 

ニューヨークにいた時期、

わたしは数年間 Sooと名乗っていた。

 

Mai というのは英語読みだととても発音しにくくて、

自己紹介すると、マイがメイになることがほとんどなのが煩わしくて

あだ名を使っていたのである。

 

 

 

いま、わたしのことをSooと呼ぶひとは

もうほとんど、いなくて

 

いつかのニューヨークのレストランの同僚に

いつかどこかでまた逢うときが来たら、くらいなのだろうけど

 

 

いまでもひとりだけ、わたしのことをスーさんと呼ぶ友人がいる。

 

さてわたしは、そのリーという友人に、

数ヶ月前、思い立ったように自分のコンセプトストーリを送りつけたのであった。

 

 

 

 


 

 

 

ここは雨降り八王子です。
どうもこんにちは、元気にしてますか。

もう、ほんとにお礼がおそくなりまくりで、
とてもすまない気持ちなのですが、
6月は、すばらしい贈り物をどうもありがとうございました!

 

届いてしばらくは、ぜんぜん余裕がなくてひらけず、

そうしているうちに、個展という自分にとってはきっとハッピーな場なのでしょうが
ずんと重たくなっていき、
けっこうしんどくなっていたのですね、後半にむけて。

 

 

 

なんだか泣きそうになってしまっていたそんな新月の日に、
まいさんの贈り物が、ふと目に止まり、
あ、今日だ。
と、深呼吸をしてからひらきました。

 

 

ごめんなさい。
すぐに感想を書いていたらよかったのだけど、
郵便で返事をしよう、なんて理想を掲げていたら、
すっかり月日が流れてしまい、
8月は後半に、メールでのお返事。

 

そして、当時受けたインパクト、感触はすっかり忘れてしまった。

 

 

 

だから、今ふりかえる印象になってしまうのですが、

 

なんだろう、ページをめくるのではなく、1枚ずつ読んでいくそれは
それこそ雫がポトリとおちるような感覚で、

自分の深い部分におりていくような行為でした。

 

 

 

それで、そのときのズン、は、自己否定みたいなことが根にあったのだろうけど、

その無用なジャッジが、じょじょにと けていき、
センタリングというのか、自分がただの自分にかえっていくような時間でした。

 

 

 

言葉とときどきの写真に、
はっきりと癒された、変化をさせられたことがうれしいし、

やっぱりこういうことがぼくも好きだし、
きっと自分の絵にもなにかしらのそのような力があるはずだ。

 

そのようなことを思うことができて、
よし! という気合いも必要なく、す、っと立ち上がるようなテンションで、
かろやかに個展会場へと向かうことができる自分になっていました。

 

 

 

 

すごくありがたかったし、

宇宙の不思議を感じたし、

すーさんと出会えたことがあらためてうれしかった。

 

 

 

あらためまして、どうもありがとう! 

 

 

 

 

 


 

コンセプトストーリは、

わたしが自分に還るために

 

時間をかけてその目に見えぬなにかを

言葉に起こしたものだ。

 

 

 

それは、

わたし自身にとってだけではなくて

 

だれか他のひとにとっても

 

大切な、そんなときに

 

自分に還る、ひとしずくになる。

 

 

 

毎日ぺらぺらめくる

エッセイのようなものではなくて

 

 

 

そう、リーさんが開いたタイミングのように

 

なんだか泣きそうになってしまった、そんな新月の日なんかに

だれかがどこかで

 

これからも

開いてくれるといいな、と

そんな風に思う。

 

 

 

こないだ簡単な書評みたいなのをいただいて

水都が出来上がるところがしり切れとんぼなので直すと良いと言われ、

さらに差し込んでいた写真も、話に合っているか微妙と書いてあって

その通りだなーと納得。

 

リーさんに雫の絵を書いてもらって、

本になるといいなと思う

 

今日この頃。

 

 

 

 

 


 

p.s.

 

すーさんのコンセプト。

その日に一度ひらいてからはひらいてなくて。

必要なときにまたひらくことになるんだろうと思ってる。

お守りみたいだ。

 

 

 

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