ヌルリとした別離

 

 

 

好きな男の一部が、小さく縮んで自分の身体の中からヌルリと間抜けな音を立てて

外に出て行くときの侘しい感覚が好きである。

 

「ずっと繋がっていたい。」

「そのまま繋がったまま朝まで眠ってそのまま死にたい。」というのとは別で、

さっさと二人に別れたあと
名残惜しむように抱かれたり、おでこにキスをされる愛おしさにこそ
醍醐味がある。

 

気が済んだらさっさと肩が冷えぬように
上半身だけパジャマを着る。

大好きな男の首元にうずくまって、寝息が聞こえてきて、

普段クールな大人の男がイビキでもかきはじめた頃には
完全に夢心地の中追いかけるようにして眠るのだ。

 

それほど幸せな瞬間は他にはない。

べったりずっと甘えたくていつまでもひっついていることと同じくらい、

二人の甘い時間が繰り広げられるキングサイズのベッドの上で、
眠った後に背中を向けてツンとすましつつ

独りを楽しむのはまた乙なものなのである。

 

 

2月の休暇中だらしなく過ごすにあたり
寝たい時に床に転がって24時間いつでも眠った。

 

 

だらしなく、めんどくさいままに、オーガズムまでむかえず
中途半端に自慰行為をする中でふと、

冒頭の、ヌルリ間抜けに別離する感覚が何かに似ているなあと思う。

 

 

それは母親の身体から生まれ落ちたその瞬間であった。

 

一度、セミナーで癒しのワークに挑んだときに

「今までの人生で最悪の瞬間」から癒して行くというものがあった。

 

参加者たちは皆、誰かに罵倒され傷つけられた時とか、
詐欺に遭って借金をしながら辛い日々を送ったりしていた時期など、
それぞれ一個づつ挙げていった。

 

ちょうどその頃わたしはどんどん自分の過去の記憶を
昇華させていた時期だったので、

「人生で最も最悪の体験」が思いつかなかった。

 

自分の番が来て、潜在意識に任せるがままに
記憶の引き出しをあげると、それは、

「自分がこの世に生まれ落ちた瞬間」

つまりは

「母親の身体から切り離されたその瞬間」が人生最悪の体験だった、
というものであった。

 

 

自分の覚えていない記憶も私たちの魂には
ビッシリ傷跡として残っているので、

まさかと思うような内容が出てくることはさほど驚くべきことではないが、
なんとなく自分にとって

「産まれたこと」自体が最悪の体験、というのには合点がいった。

 

この場合わたしが地球にやって来て人間になったこと自体を憂いているわけではない。

 

それはそれで大いに憂うところなのは別として、つまりは最愛の母親のお腹の中で、

母親と一体となって、母親の一部としてぬくぬく幸せに過ごしていたのが遂に切り離されて、
孤独になり、チョキンとハサミで身体の一部(へその緒)を切り取られるという

残虐極まりないシーンがトラウマになっていたらしい。

 

もちろん覚えていないし、そんな記憶のせいで日々に支障があったわけではないが

その瞬間の意識にアクセスしていくと、たまらなく寂しく心細く、涙が止まらず、

それはまさに

「人生最悪の瞬間」そのものであった。

 

 

そのワークの最中に、しっかり当時の自分をこの手で救いに行き、
晴れてわたしはこの世に祝福とともに独立宣言を果たした。

 

そのワークをした頃セックスをする相手はいなかったので、ヌルリ外に出る瞬間の心地が前後で変化したのかどうか確かめようがないのだが、

でももしかすると以前は離れると

「寂しい」方が先行して、

悠長にさっさとパジャマの上を着て

切り離されたことを楽しむ余裕すらなかったかもしれないなあ、と振り返って思う。

 

 

ちなみに自分の息子がこの世に生まれ落ちたときは、30時間を超えた陣痛の果てに

いつまで経っても出て来ず、

わたしは予定していた助産師に取り上げてもらえぬまま救急車で大病院に運ばれた。

 

苦しんだ割には、病院について雑な女医にサクッと会陰をちょんぎられ、
サクッと鉗子で引っ張り出された息子、(その間約5分)は

現在実に幸せそうである。

 

 

彼もいつか年頃になったら、母親の腹からいつかヌルリ出たときのように、

縮んで小さくなった自分の身体の一部を、

可愛い彼女の中からヌルリ間抜けに出して、いびきをかくのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

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