無力なセラピスト①

 

 

わたしはセラピストとしての仕事を、心から愛していたが

そのことと、自分がどれだけのことができるかどうかはまた別の話である。

 

 

野球が下手でも野球を愛することはできるし、

歌が下手でもアイドルのおっかけはできる。

 

わたしもまた、セラピストとして未熟ながらに努力を重ねながら、
その「好き・楽しい」と技術の向上の両方を楽しんでいた。

練習をして野球が上達したら、それはもっと楽しくなる。

野球への情熱はもっと深まり、
難しさも辛いことももっと知った上で野球に向き合えることだろう。
わたしはそんな風に仕事をしていた。

 

何もできなくとも人の癒されていく様子はいつまで見ていても飽きなかったし、
それをより効率よく、より加速させ、より楽に遂行してもらえるために
工夫するのもまたやりがいに満ちていた。

 

 

恋愛をして失敗をして傷ついたら、そこから何かを拾い、
確かな気づきを経て、同じように苦しんでいる大勢のクライアントさんや読者のことを想った。

わたしはげろげろになりながら、たった独りの嵐の夜をじっと耐えて通り過ぎている最中でさえ、この世界で同じ想いで苦しんでいる誰かのことを想っていた。

それはもはや職業病でもあり、純粋なわたしの愛でもあった。

 

 

 

こんなにまで苦しんで、わたしは何をしたいのか?
何のためにわたしはこんなにも苦しいのか?

何万回問うても、答えは浮かばなかった。

 

ただ唯一わかることは、わたしが新たな種類の苦しさを超えられて愛に錬金できたとき、

同じ苦しさを味わっている人を救える範囲が格段にアップしているということであった。

 

その瞬間だけはまちがいなくわたしを慰めてくれて、
「苦しむ」ことに意味を与えてくれているように思えた。

 

 

次第に自分自身に意味を見出せなくなったとき、
わたしはこの世界の全員の涙のために

ただそのためだけに存在しているように思えるようになっていた。

 

 

ある時まで、それは確かに幸せなことでもあり、

自分のために生きたいという感覚はどんどん薄らいでいて

2月の半ばにそれは絶望にすり変わった。

 

 

わたしはもう素直に、生きていたくはなかった。
どうしても消えて無くなりたくて、

 

そしてわたしは、この身がひっくり返って無くなるまで与え尽くしたときに、
そこで何が起こるのかを見てみることに決めたのだ。

渇望 ひっくり返る

 

 

現実面での生活や人との関わり、仕事としてのセッションは別として、

それ以外の自分がとりくんでいるプロセスに対しては、
もはや何か目的を持って進んでいるというよりかは

ただ、「起こることのその先に何があるのか待つ」ような感覚であったように思う。

 

それは受動的のように見えて、そうではない。

”能動的に何もしない”ということはひとつの大切な姿勢である。
わたしは、自分がどこまでセラピストとして高みに行けるかを、ただ黙々と試していた。

 

それは誰からも教わったことのない境地に、
自ら果敢に挑んでそして確実に実を結んでくることの繰り返しであった。

 

「真実」は、いつも私を圧倒し、破壊したあとで包み込むような光を見せた。

誰か偉大な師をわたしが目指していたとすれば、

それはいつでも「真実」、それだけであった。

 

 

 

止まったときを、停止した瞬間まで少し巻き戻してみると、

それは、1月後半に行われたセラピスト向けのセミナーであった。

 

いまから思うと、その日の前後が、
わたしのセラピストとしての運命を切り分けた節目の始まりだった。

 

わたしはその頃も、不毛な恋愛にしがみついていた。

しがみついていた理由としては、もちろん相手のことが好きだったことがあるが、それ以上にわたしは自分のために

その関係の中から何かを見出そうとしていた。

 

その失われたパートナーシップの中で、相手を許し続けることで起こる、

新たな種類の愛の境地を開拓していくことや、

「永遠」を自分の中で感覚的に腑に落とすこと、

3次元的な愛の関わりではなく

より高い次元で「愛する」ということなどがそこには含まれていた。

 

 

一方ですでに相手からの連絡が途絶えて一ヶ月以上経っており、

わたしは消耗しきっていた。

 

傷が治癒した瞬間に傷の上塗りをするような、そんな日々。

 

 

手放すと決めたとき、それは実に一瞬で切り離されることは経験上よくわかっていた。

だからそれは、ひとつの執着や未練というものとはまた異なるものだということも私は知っていた。

 

では何のためだったかといえば、

そこに含まれる確かな「愛」をそこにそのまま置いておくことと、
未来へと繋がれている小さな旗が立てられた地点へ向かうため、

この場合、彼と約束していた2月末の誕生日、その日へ向かうためであった。

 

 

 

わたしは、絶望と失望をしつこい程に繰り返した後に残る、

とても純粋な砂金の粒のような愛の残りカスをかき集めるようにして、相手を想い続けた。

 

それは、うまく説明できないが、打算的な一途さというか、

意図された健気さというか、そんなようなものであった。

 

 

今更純朴ぶるつもりは毛頭なく、ただわたしはそこにあるものが

いつどんな形で失われていくのかを見つめていようと思った。

 

 

失望し、絶望し、そして手放すことが起こったら、

そのときはそれで静かに受け入れる。

 

 

 

そこに迷いはなかったが、朝が来ると、わたしはいつも変わらずになぜか、

彼のことを愛していた。

 

半分がっかりしながらそれを受け入れると、

自分の中に存在している愛はどんどん柔らかな膨らみを見せるようで、

わたしはある意味それが安定して、

 

自分を脅かさない状態になるまで待っていたのかもしれない。

 

 

 

 

 

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