学び合う – Suliss Hatch Project – ⑥

学び合う:       

 

 

 

 

 

”ひとりの人についていくと、偏りません?”

と彼女は聞いた。

 

 

つまり、松永まいだけに師事すると、

本当は世の中にはもっともっと学ぶに値するやり方が

溢れているのに、それを逃してしまうのではないか、

 

という危惧である。

 

彼女がわたしから離れて、

もっといろいろな方法を見たいというのは

実によく理解できた。

 

 

わたしも過去、そうだったからだ。

 

 

 

そして、その質問に関して

 

これでもかというほど遠回りし

そして同じ時期もたどってきて

 

最後、たどり着くところはひとつしかなかったことに

やっと気づいた私が答えるとするならば

 

答えはイエスであり、ノーである。

 

 

当然だが、

この世界には私以外のセラピストも山ほどいて、

 

当然だが

わたしよりも優れたセラピストは山ほどいて、

 

当然だが

わたしたちは、セラピストからだけではなく

毎日毎日出会うひと出会うひとから

常に学び続ける。

 

 

 

そもそも、「ひとつのやりかた」にこだわる必要は

どこにもない。

 

ただ、ひとつだけ言えることは

情報というのは、取り入れれば取り入れるほど

 

わたしたちの中に混乱をきたすもので

 

それは使いこなせなければ

ただ私たちの成長の足を引っ張ることにしか

ならないということである。

 

 

わたしが教えることは、

「わたしのやりかた」ではない。

 

そこを彼女は、肌で理解していた時期があった。

 

そのとき彼女はどんどん自分に還って行って、

自身の魅力を外に放っていった。

 

そこから道に迷い、

ぐるぐる同じ場所を彷徨い、

 

行き詰まったとき

 

答えは自分の外にあると錯覚した。

 

それは松永まいではなく、

他のひとが教えてくれると

 

そう思ったのだ。

 

 

 

 

 

答えは、どこにも落ちてはいない。

全てはわたしたちの中にある。

 

 

そこに気付かない限りは、

延々と無限に外に幻想を抱いて

 

何かヒントがあるんじゃないかと勘違いしたまま、

その旅は一生終わることはないのである。

 

 

 

わたしの仕事は、その人自身を鏡に映し出すことと

そのひとにとってのたった一つの答えを見出す手伝いで

 

小手先の技術を教えることではない。

 

 

それは、本屋にいけば、

イメージ療法の誘導のスクリプトは落ちているだろうし

ヒプノセラピーの誘導のCDはたくさん販売されている。

 

他の山ほどのセラピーの手法も。

 

 

 

 

 

「そこは、危ないから近づかないほうがいいよ」

 

とわたしが言うとしたら、

それは

 

自分が実際に、この身を投じて

危ない池に、落ちてそして骨の髄までその痛みを味わいつくしたときだけである。

 

 

だから通らない方が早いよ、と

近道を教えたところで

 

 

だいたい誰もが、

 

「ほんとかな・・・まいさんはああ言ってるけど、

実際は何か落ちてるんじゃないか」

 

と疑って、

結局自分で痛い目をみない限り

 

前には進めないようにできている。

 

 

 

 

 

 

 

一番弟子は、わたしから離れて、

色々みてみたいと言った。

 

それはとてもいいことだと思う。

 

あとから、「遠回りした、答えはここにしかなかった」

 

と時間もお金も無駄にしたことも含めて

 

学ぶために。

 

 

 

 

 

 

彼女は、セッションの最初にこう言った。

 

 

「わたしはまいさんレベルにはまだ到底及ばないから、

そこまで経験やスキルを積まないとセラピストとしては稼げないと思っている」と。
わたしは催眠療法?もきちんと学んでるし、心理学の勉強もしてるし、

自分でも人を癒す力があるというし、

 

わたしから学んでる時点でわたしみたいな高いレベルにいってない、と。

 

 

 

 

わたしは、がっかりを通り越して、

吐き気がしそうであった。

 

 

 

これは、一見わたしを持ち上げていて

一見わたしがすごいとたたえているように見えるが、

 

わたしはその瞬間、甚だしい侮辱を受けた気になった。

 

 

 

 

 

最初に書いたとおり、

あれこれの寄せ集めはひとつひとつの純度からすれば

もちろん低くなる。

 

 

わたしはただの寄せ集めであり、彼女のいうことももっともだが

 

なぜ、まず等身大の自分を見ようとしないのか。

 

 

ないものに目を向けるのではなく、

自分のなかにあることに気づかない限り、何も起こらない。

 

 

それが、わたしの元で駆け上がっていた夏にはちゃんと、できていた。

 

 

今更「松永まいと同じレベル」にフォーカスして、どうするというのか。

 

わたしよりも優れたセラピストにつけば、

わたしと肩を並べられるとでも思っているのか。

 

 

 

わたしを追い抜きたければ、

さっさと追い抜いて、
用がなくなればそれほど祝福すべきことはないが、

 

彼女は彼女自身を見つめるという、

一番大切なことを脇に置いて

 

「わたし」とか「わたしじゃない先生」という、

外にばかり目がいってしまっているのである。

 

 

 

 

 

 

わたしは最初から、資格や知識に頼ることをしていない。

 

それをさんざんうたってきたつもりで、

 

ヒプノセラピストの資格の看板もあえて降ろしていて、

自分がどれほど遠回りしてお金もかけて

経験もしてきた上で

 

大事なことはそこではなかったと

やっと気づいた部分を

 

必死でこうして、伝えることをしてきているつもりだった。

 

 

彼女はそういう意味で一時的に、

どこまでも本質を見落としていて

 

 

わたしは何が残念だったかというと

 

 

「セラピストとしての資格も

セラピストとしての経験もなくたって
今まで自分が生きてきた中で経験してきた
全てをつぎ込めば

それぞれの本質が開花していったら

誰だって輝ける」

 

 

 

ということを、

少なくともわたしのセッションを長らく受けてきた

彼女こそが、一番わかっていると思っていたからだ。

 

 

 

 

 

資格を取った方が役に立つのだとわたしがもし思っていたら、

最初から資格を取れと伝えるだろう。

 

心理学部をたまたま出ているが
大学になど行かずに写真を撮ったりラジオの放送局でバイトしていた私は
心理学の勉強などしたことはないし、

 

それをセッションのなかやセミナーで講義したことは一度もない。

 

 

 

 

 

わたしは、毎日、

ただ、人間を見つめているのだ。

 

 

 

毎日毎日、人間を真剣に見つめて、

そこで気づいたことを

一生懸命

ひとつづつ拾ってポケットにしまって

 

そして気づいたことを細々シェアしているだけなのだ。

 

 

それを経験と呼ぶのならばそうであろう。

 

 

 

でも残念ながら、そこには何のトリックもなく、

わたしはそれを、一円もお金のかからないそれを、

ただただ真摯に続けているだけなのだ。

 

 

 

 

 

「わたしには経験もないし」

 

は、ただの怠惰である。

 

 

 

わたしたちの毎日は平等に流れていて

そこで何をするのかは

 

わたしたち自身にかかっている。

 

 

 

それを、

 

 

ひとと比べて、

「自分にはないから」

と思うことほど

 

楽な逃げ道はないのである。

 

自分の成長を止めるのに最高の、言い訳はないのである。

 

 

 

 

 

 

 

わたしがセラピストとして

他のひとに負けないことがあるとすれば、

 

 

それはどこまでも遠回りをして

どこまでも無駄な経験をして

どこまでも失敗を重ね

 

 

そして

 

 

その中で

 

自分なりに

 

「大事だった」ことだけを

全ての学びから

最も大事な部分だけを

 

 

厳選して伝えられる

 

それだけだとおもう。

 

 

 

 

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