「何となく」それは最強

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母になって間もない、古き良き友人宅にて

 

 

 

 

 


 

 

 

2016年7月。

 

「何となくが最強だと思っている。」

「理由がないものは覆しようがない」

 

 

 

 

おはよう、

素敵な1日を

 

おやすみなさい

を 毎日のように送って、

 

 

そのひとのことを想った。

 

 

 

そのひとのことを、何も知らないわたしは、

会って、話をして、どんなひとなのか知って

 

そして初めてそのひとのことを好きになっていいのだと、

そんな風に感じていた。

 

 

舞い上がっている地に足がついていない
自分の心地が悪くなって、

課題が降って

目の前のことに集中した。

 

 

 

 

 

そして

ひとつ、自分が大切なことを乗り越えて

もういちど自分を取り戻したとき

 

 

わたしはやっぱり、

そのひとのことを想っていた。

 

 

 

 

 

気づいたら、

 

今日こんなことがあってこんな風に感じて

わたしは世界がどんな風になるといいなと思っていて

 

そしてその人に惹かれたのがどんなところだったかを

 

綴っていた

 

 

 

 

 

 

苦しかった夜に

 

「乗り越えられるように祈ってください

多分ここを越えたら少しまた成長できそうなので。

個人的なことを書いてしまいました

満月の明かりに乗せて」

 

 

と送り

 

 

「まいさんのハートを持ってすれば,きっと越えられるのでしょうね。」

 

 

と返って

 

 

その次の朝、毎日送っていた「おはよう」が消えて

長くて苦しい1日を終えた。

 

 

 

 

一度も連絡がなくなってその夜

 

わたしは悶えながら枕を抱きしめ
何度も目を覚ましながら

 

同時に立ちはだかった壁の前を

最後大きく飛び越えようとした。

 

 

「女神ですね」「まいさんなら乗り越えられるんでしょうね」

 

というその人からの言葉が、

ただの自己満足のためにやっている低俗な自分の
カッコつける姿に重くのしかかった。

 

 

 

 

 

 

夜中の2時か3時に
目を覚まし

 

 

「奪われなさい」

 

 

参照・覚書ー奪われなさい

 

が降りてきた時

 

 

わたしは

山を超えた。

 

 

 

身体の疲れとともに
ほっとして、目的地に着地したのがわかった。

 

 

 

 

 

 

そんな次の日

そのひとの耳心地のいい声を聞いて、

わたしはとても幸せな1日を過ごした。

 

 

 

 

なんとなくその夜、そのひとに

 

少しだけ長い文章を送って

どこでそのひとのことを素敵だなと感じたのかを

初めて言葉にしてみた。

 

 

 

”「言葉にすると全部嘘になる」と思ってるから

考えたあとに一言になったり
何も送らなかったりする”

 

 

とその人は言った。

 

 

「何となく思いつくままに生きてきた」と。

 

 

 

 

「言葉にすると全部嘘になる」という感覚。

 

それは言葉を真摯に扱う人間だけが持っているものだと私は思う。

「言葉」にして表現しようとどこまでも追求した最後、

 

そんなことは到底不可能だということを

私たちは初めて知るのだ。

 

 

 

 

 

だからわたしはいつでも

 

「嬉しいです」

「ありがとう」

 

と重んじた。

 

 

その一言だけにとどまっている感じが、

すごく心地よかったり

 

そこに大事なことがちゃんと入っているような

そんな気がしたのだ。

 

 

 

 

 

わたしの文章を褒めてくださって、

わたしは彼の何がいいと思っているのだろうと考えてみたところ

それは

 

 

 

そこに「居る」というだけの感じ

「淡々と声を発している」感じ

 

とても生理的なものだった。

 

 

その人がどれほど凄いことを成し遂げていて

難しいことを知っていて

面白いことを言えるか

 

というところはあまり見てなくて

 

「ただそこに居る」その感じが、心地よくてほっとした。

 

 

それは言葉にすると、

 

 

「佇まい」

 

であった。

 

 

 

 

 

実際に会ったらそれは変わるのかもしれない。

その人のことをもっと深く知ったら、

きっと感じていることも変わるのかもしれない。

 

 

それはそれで、

よかった。

 

 

 

 

 

 

次第にわたしは

その人のことが好きであることに気づき始め

 

「声が心地いいです」

「そういうところを尊敬します」

「その考え方が好きです」

 

ことあるごとに伝えていた。

 

 

返事のなかにはいつもだいたい、

 

「嬉しい」

「ありがとう」が入っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そしてそのあと

間違いなく論理的で科学的な世界で
活動しているその人が

 

 

「何となく思いつくままに生きてきた」

のいしずえに

 

 

 

 

冒頭の

 

「何となくが最強だと思っている。」

「理由がないものは覆しようがない」

 

があることを知ったとき

 

 

 

 

 

わたしはもう言葉にあれこれしたためるのをやめて、

 

 

「好きです」

 

 

 

と送っていた。

 

 

 

 

 

これ以上、ひとことも、

 

ひとことも

言葉を交わしたくない

 

その確かな感覚が

わたしの奥底を震わせる。

 

 

 

 

誰かを想うって

 

なんて尊いんだろう。

 

 

 

 

 

 

 

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