対面〜手の届く距離

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生後2日目のたお。

 

 

 

 

スカイプのセッションは、近くに住んでいなくても
関東や海外の方にも受けていただくことができて

それはそれは、便利で

 

おかげで今、感情解放のコースなどは
初回でスカイプで顔を見ながら話をして、

2回目から
基本的に声だけの電話で行っている。

 

 

自分の奥底にあるものを引っ張り出し、
見知らぬ相手に打ち明けるという作業は

とてもじゃないけれど気楽なものではない。

聴く側の私は別として、

 

それは本当にエネルギーがかかることだし、
感情を感じていくにあたって姿が見えないほうが逆にリラックスして
できることもあるため、

そんなコースの構成になった。

 

 

 

7月からほぼ毎週お話を聞いてきた方たちの

うち3名が、遠方から今回東京まで足を運んでいただけて

対面に切り替えのセッションを受けていただくことになった。

 

 

 

 

みなさんそれぞれが、
それぞれのペースで

 

いろいろなことに気づきながら
体調を崩しながら
もがきながら
苦しみながら
祝福しながら

 

変化を続けてきた、折り返し地点。

 

 

 

今現在、関東と関西にそれぞれ隔月ペースで足を運んでいるが

 

どうしても、その時に実際に顔を見て

話ができたらと

 

スカイプで毎回セッションを受けてくださっている方には

必ずお会いできることを願いながら

 

今回ご縁のあった方たちに会うことになった。

 

 

 

 

 

 

Fragile で一触即発の状態にあるとき

ひとは

もちろん、身体中の粘膜が外に剥き出しになっているような

そんなありさまだ。

 

 

 

こういう仕事をしていると

わたしは本当に、「ひとを泣かせるために」

ここにいるんじゃないかと思うくらい

 

毎回毎回涙に触れる。

 

 

 

 

わたしが品川についてまずロビーで待ち合わせした
クライアントさんもまた

2月に私のグループセッションを初めて受けてから

 

時間をかけて

大切なことを拾い続けてきたひとりであった。

 

 

 

 

 

ホテルの部屋の準備ができたと声をかけてもらったタイミングで、

彼女はロビーにやってきた。

 

 

わたしを見つけるなり、

そのまま崩れるように涙目になって、

 

わたしはもう愛おしさでいっぱいになってそのまま彼女の肩に触れ

何も言わずに横に並んで椅子に座らせた。

 

 

 

ホテルのひとは、私たちの空気をそっと汲み取るように下がり

 

ああ、もっと早く、直接会える機会を作るんだった

と思わんばかりに

 

その同じ空気を共有できる時間を

慈しんだ。

 

 

 

 

 

今回のスケジュールは

泣き崩れるかもしれないので公共の場じゃないほうがいいという方から

優先的に部屋でセッションができるように組んだ。

 

 

あまり意識していたわけではないが、

感情がしっかり出てくるようなセッションはどれも見事に部屋のなかで行われた。

 

わたしはその度に、

彼女たちにこの手で触れて、

 

「直接会って触れる」ことのパワフルさを

今回久しぶりに感じながら

 

その場にいるからこそできる、わたしを傷ついた対象として
救いに来て抱きしめるような

ワークも、どんどん取り入れて人々は癒されていった。

 

 

遠隔でエネルギーワークをすることは可能だ。

それはスカイプだろうが外国だろうが
声だけだろうが、実際のコミュニケーションを伴わずとも

癒しは起こってゆく。

 

 

そして、本来

 

セラピーであるとかカウンセリング的なこういった仕事で、

 

「相手の体に触れる」というのはご法度というのは

実は基本中の基本のルールなのである。

 

 

 

 

わたしはおそらく、ずっとそれを忠実に守ってきたところもあり

 

相手との距離感が崩れてしまう可能性のあるような場合であるとか

異性においてはもちろん慎重にならなければいけない。

 

 

 

でも、実際自分が色々な場面に立ち会ってきて

そして

 

この私の手のひらが

 

ダイレクトに人を癒すことができることを

 

 

わたしはもうとっくの昔に知っていたのだろうと、

そう思う

 

 

 

 

 

そしてもうひとつ、

最近ある出来事がきっかけで気づいたのだが、

 

わたしには「人間の女性」としての「肉体的な」関わりを

人としていくのはもちろんだが、

 

 

それ以外で 「身体を超えた存在」として

非常にプラトニックな関わりをしていける、

 

とことん純粋な側面を同時に持ち合わせている。

 

 

 

わたし以外の人間と接して

(こういう純粋なまま性を癒すセラピストもいるんだなー)と
そう感じたことが最近あったのだが

そういう人は、

 

「セックス」に関して語っても、全くいやらしさがない。

 

それは色気がないとか魅力がないとは全く別で、

 

もう少し神に近い場所からコミュニケーションを取れる一種の能力というか
性質のようなものだとおもう。

 

 

 

わたしがセックスについて、あけっぴろげに語ることができるのも

そういう理由からだろう。

 

 

もちろん身体的な接触や、セクシュアリティに関しては
とてもデリケートな部分でもあることは承知のうえで

 

昔からそこにとてつもない純粋さを抱いてきたわたしは

 

その部分に独特の感覚を持ちつつ、

 

人間の女性の身体を持って生まれてきた存在と

それを超えた存在の両方を

使い分けている。

 

 

 

 

 

 

そして今回のセッションでわたしは

どこまでも、クライアントさんと繋がろうとした。

 

 

ほとんどの方がもう半年以上にわたって

 

わたしの元へ続けてきてくださるような、そんな間柄で

彼らが抱えてきたものに解放しているものに
変化しているものに

敬意と親密さと色々な壁を超えるとき

 

 

 

「ルール」を持って接することは

少なくとも今の私には、全く必要がないと感じる。

 

 

共感して私自身が涙したり、
思わず抱きしめたりとか、

 

こういうことは

本来してはいけない。

 

 

それはセラピストとクライアントの関係を
壊しかねない部分であり、

決して軽々しくやってはいけない。

 

 

共感しない、淡々と、
いつでもニュートラルに話を聞くことは

セラピーのなかで鉄則だ。

 

 

 

でもわたしはおそらくその部分で、一回りして

自分なりの役割と自分のもっている性質をすべて活かしきるための

 

そんなやりかたを

ずっと更新しつづけているのだろうと思う。

 

 

 

 

クライアントさんにも色々あって、

遠方だからスカイプのセッションを上手に使っていただいている方

近くだから足を運んでくれる方

近くても「移動が勿体無い」とスカイプでお話される方

遠くから、新幹線にのってわざわざ直接セッションを受けにくる方

 

 

それについて、

今まで完全に相手に委ね、好きなようにしてもらってきた。

 

 

そのなかで、

 

「へー、来られる距離なのに、直接あわないんだー。もったいない」と感じるときも確かにあった。

 

 

 

わたしは自分がどちらかというと

逢いたい人には地球の裏側まで直接逢いにいって

そして直にその人の目をみて触れて

感じることをしたい人間なので

 

近いのに「電話で済ませる」のは

せっかく同じ時間を過ごせるのにもったいないなあ、なんて思ってしまったのだが
(もちろんそれは皆様の自由)

 

 

 

逆に関東や関西から

 

セッション代よりも高い交通費をかけて

わたしに逢いにくるひとというのはおそらく、

 

その「直接触れるエネルギー」というものを

しっかりと、感じ取り

そして何かを持って帰ることのできるひとなのだろうと思う。

 

 

 

なんとなくのペースで、

関東や関西を訪れていたわたしだったが

 

 

今回電話セッションの続いたのちの

対面のなかで

 

顔が見えること、そして触れられることの

醍醐味を痛いほどに再確認したわたしは

 

 

これからできる限りそういう機会を届けられるように

自分も動いていこうと思うのであった。

 

 

 

 

さて、

明日はどんな癒しが待ち受けているのか

 

 

淡々と、

淡々と。

 

 

今この瞬間に、やるべきことを。

 

 

 

 

 

 

 

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