そのスタンダード

なんか、安堵で

なみだがぽろぽろ、こぼれてくる。

だいすきな古い友達のお誕生日の今日。

わたしは、ありがとうって嬉しいって思いすぎると、その気持ちや感じてるこころが、

「ありがとう」に収まらなくなって、だからありがとうって言えなくなる。

誰かに褒められたときも、いつも

なんかどんな顔していいかわからなくなって、嬉しくなさそうにしてしまう子供だった。

 

そのともだちにも、本当はこの前、「これまで頑張って生きててくれて、同じ世界にいてくれて、本当にありがとう」と言ったかったんだけど

伝えたら、恥ずかしくて照れ隠しみたいに言われるかなと思って

がんばって、ことばを飲み込んだところだった。

 

 

 

直接返したいのに、いっぱいで返せないときに

 

わたしたちはすごく、苦しくなるよね。

 

愛を伝えたいのに、伝えられないとき

直接言いたいのに、いっぱいで言えないときも。

 

そんなときに、誰かが代わりに聞いてくれたり

誰かが代わりに受け止めてくれて、

本人に直接言えなくても

思いをちゃんと、預かってくれるひとがいること

 

奇跡みたいにありがたいことだよ。

 

ありがとうって

嬉しいって

何度も何度もあなたに救われたんだよって

 

直接言えない代わりに、パートナーに全部を預けた。

 

そしたら涙がぽろぽろこぼれてきて、わたしは生かされてるって思って

これでいいんだと思えた。

 

 

何かを伝えることや、気持ちを表現することは

「すぐに」、「わかりやすく」、「直接」って人は思いがちで

 

わたしは、今でも、昔「感謝のきもちを毎回言うべきだ」と人に言われたときの

恐怖を思い出す。

ありがとうで溢れてて、追いつかないくらいに必死で思ってて

でも言葉にうまく、できなかったこと

そしていろんな人に、「感謝もない」と何度も言われてきたこと

 

自分もまた、誰かにそう感じてきたこと

 

全部それは過去になった。

 

 

笑えなくたって、何も言えなくたって、ありがとうの言葉がなくなって、

ほんとうは、いろんなことを感じて、ずっと言いたくて、そう思ってる

 

そんな思いを代わりに預かることができるひとでありたいし、

そういうひとが、自分にもいてくれて、本当によかった。

 

 

世界は、世界のスタンダードをわたしたちに、求めてくる。

そこに正解はほんとうにあるのかい

と言いたい。

 

愛のスタンダードを創るのは、わたしたちだよ。

 

 

 

いい大人ってどういう意味?ときいたら、

「うーん、愛でいっぱいみたいな感じかなあ。」といったタオ君。

ふわふわした優しさじゃない、堅実にこの3次元を生きていくための知恵や、
正しさへの本当の理解を見せはじめてる8歳。

その賢さを、本当に人のために使ってほしいとずっと願いながら育ててきた。

 

愛ある大人の隣に500円と5000円の絵が書いてあって安心(笑)

 

 

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