”やさしくなれるおんがくだね”

2020-6-4のきろく

 

昼間に30度を超える日の、この朝と夕のぐっと温度が下がるときの風が
あまりにきもちよくて、あまりにさわやかで、日が暮れたあとに
外に出て土いじりをする。

虫の声と、南から北に長い作りのマンションの廊下を、一気に風が行き来する。

キャンドルと、香りを焚いている家中が静かに心地よくなって、そのすべてが家の中のすみずみまでゆきわたるようにして、幸せな時間。

金魚のふんみたいに、ママの後を追ってくる息子に

「よし、嬉しいから、しあわせな音楽をかけよう」

と前置きしてからジムノペディをかける。

 

ベランダに出て、ああだのこうだのいいながら、花の配置換えをしていくママの脇で、トマトが気づいたら大きくなっていることに歓喜の声をあげたり、この鉢はここがいいと一緒に提案してくる息子。

お花とたわむれること、1年が経過した。

去年あっというまに枯らしたトレニアや、さらにあっという間に枯らしたバーベナ をどうにかして増やそうと、水加減や土の量や、植える感覚や、開くスピードや枯れるスピードを観察する日々だ。

 

きづいたら葉が白くなり、病気が出て、水がたりなかったのか、はたまた少なすぎたのか、温度はどうだったか、一生懸命調べながら手を変え品を変え試すのだった。

だいぶ、つかめてきたのか、あっというまに枯らす前に対処し、そしてもう一度元気に咲かせるということを何度もやるうちに、わたしの内側には静かな自信のようなものが芽生えてきた。

 

去年、元気がなくなった鉢は、またいのちを吹き返す希望よりも、ああやっぱりダメだったか、と思うしかなかった。

はじめて芽生えている自信は、わたしがいつか、

「ガーデニングを制するものは、人生を制する」

そう確かに感じたときのように、枯れそうになった花をもう一度咲かせることができたことで、一度ダメになりかけた人間関係も、必ずより深まり愛の関係になる。
という信頼のことだ。

それは実際に、去年にはなかった自分の人生に今おおいにもたらされている。

過去いつか、うまくいかなかった関係はすべて、泣きながら絶望を乗り越えて手放すしかないという辛い出来事ばかりだったのが、今ほとんどそういう出来事が皆無になる代わりに、より良い関係に発展するための、一度修復に入るような経験を何度も繰り返した。

それは毎回奇跡みたいな愛の体験だった。

 

花は、どれでもなんでもいいというわけではなく、色の組み合わせだとか、バランスだとか、鉢との相性だとか、それと合わせて太陽の向きや風当たりや温度や、季節の微細な変化をキャッチした上で組んでいかなければいけない。

それだけでなく、その楽しい配置やデザインを、自分のペースでやることができれば楽だが、自然は、待ってはくれないのだ。

仕入れたら、すぐに植えなければいけない。小さな苗には根がぎゅうぎゅうに植っていて、それはペットショップで小さなケージに1日中入れられながら餌をもらい、嫁ぎ先をまっている子犬のようなものだ。

そして、植え替えたとて、水が切れたら、すぐにあげなければいけない。肥料が途切れるまえに、肥料をあげなければいけない。日に当たりすぎていたら、場所を移動しなければいけない。

それは、いつでも待ってはくれない。
いのちは、生まれた瞬間に、死に向かう。

 

そんなわけで、自分の生活のペースは、これまで比較的うだつのあがらない感じだったのが、基本的には水やりを欠かさずに面倒を見るものが増えたという点で、かなり枠線を細かに引かれた中での動きになった。

体調を崩したり、だらしなく過ごしたり、テレビをみて休む伸び代ですら、「花の世話」という句読点の間に組み込まれる。

これもひとつ、わたしがついに、「ガーデニング」を人生に取り入れると始めたひとつの目的だったと思う。

わたしはいつも、誰かに面倒をみてもらっていて、常に誰かの介護をうけていて、保育園児の息子にすら、守られているありさまだから。

わたしが何かの面倒を見るなんて、とんでもない。

家族はきっとそう思ったろうが、誰よりも自分がそう思っている。

だからやるのだ。
だからいいのだと思うし、少なくとも今張り合いが出て忙しく立ち回る趣味ができて幸せだと思う。

暗くした部屋の、電球の色が窓から抜けた、薄暗い中で間も無く満月になる月を指差して
「おつきさま、まんまるだねえ」と話す時間。

ふと、部屋に目をやった息子が、嬉しそうに耳をそばだてた。

「ああ〜〜!ほんとうに、これ、やさしいきもちになるおんがくだねえ」

とはにかみながら言っている。

 

やさしいピアノのクラシックの曲を、ちゃんと聴いていることを知って、なんとも胸いっぱいにひろがる嬉しいきもちになった。

ふつうのおうちにはあるのに、うちには無いものだらけで過ごしただろう5年間も、まもなくおわり、彼は6歳になる。

 

春の花も、同じ季節に間も無く終わる。

梅雨入りの前に、すべて入れ替える。

 

刻々と、幸せな日々は移ろってゆく。

 

 

 

 

 

Today’s note

2年前の今頃。わたしたちは、文句なしに幸せな時間を過ごしていた。

そして1年前の今頃は、救急車で運ばれたり、悲惨で真っ暗な闇に突入したあたりだった。

今年は、いろいろな狭間にいる気がする。希望と、絶望
愛と、恐怖、そして過去と未来

雨音が聴こえる。

 

 

 

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