映画に出てくる雪の魔法

 

むかしは、1個なにかを乗り越えたり問題が解決すると、もう次の山がすでに待ち受けてることが、嫌だった。

なにこれ、やってもやっても終わりが無いじゃないかとうんざりした。

でも今、ひとつ何かが解決したときに、スペースがあいて景色が変わるのと同時に次なるチャレンジがやってくることは、嫌とかそういう問題じゃなくて

それが、生きることなんだと理解できるようになった。

 

だから、ひとつひとつ休憩しながら進めばいい。

 

うんざりして、もう進むのを終わりにする人もきっと、いるんだろうと思う。

 

 

 

Froezn 2を、映画館で数年前に何度か見たときに

なんて素晴らしい話だと何度も泣いた。

今週たまたま珍しく有料でタオくんと一緒にあらためて見たら、それはそれは美しい話で、ひとつも色褪せてなくて、また同じシーンでたくさん泣いた。

 

このはなしは、物語だけど、わたしたちの人生で「ギフトを使って生きる」という

自分が、自分として生きるまでのプロセスがそのまま描かれてる。

 

それが、どれくらい尊いことかとか、どれくらいチャレンジであるかとか、諦めるのは簡単だけど、最後までそこに向かおうとする素晴らしさのことが描かれていて、自分のしごとと重なる。

 

そういうみんなの孤独な旅を、全力で支えたいとずっと思ってきた今のしごと。

そしてまた自分も同じように、自分が自分として生きていく、がどんなあり方か体現できるように進み続けること。

 

得意なことが、好きとは限らない。

むしろ、ギフトは最初、映画に出てくる雪の魔法のように、まるで闘いだ。

 

ちなみに息子のたおくんは、絵を描くのと英語に、苦しんでいる。

 

上手なのに地獄の苦痛を感じるとき、パニックを起こしてそれから必死で離れようとする。

自分が小さいころも同じで、図工や美術で一番良い成績しか取ったことなかったけれど、それはそれは辛いものだった。

 

わたしは離れることを選んだけれど、何十年も経った後に、ふとしたきっかけで結局
それでお金をもらうことになったりしていて、

いつしかそれは、自然に使える魔法みたいになって、苦痛ではなくなった。

 

 

ママが、どうしてもコミュニケーションにハンデがあるために、英語のサインを読めるようになってほしいという気持ちと、「それが何かとても大事である」ことを察知して、英語にも拒絶反応が出るタオさん。

 

興味のないことには、ほとんど反応せずにスルーしたり気軽にチャレンジするから、絵を描いたり、言語は、彼にとってなにかとても重要なギフトなんだろうとそう思うのだった。

 

持ってうまれた何かを使いこなすのは、だれにとっても簡単なことではない。

それが楽しいとも限らない。

ギフトとして与えらたからこそ、もがき苦しむことがよくあるから、今朝はたおくんに、エルサが雪の魔法を最初に使えずに苦しんだときの話をした。

 

今7歳の彼も、その苦しみが乗り越えていかなければいけないものなのか、それとも逃げる場所なのか、味わいはじめてる成長。

 

「自分らしく生きるってそんなに大事かよ」

と思うひともいるだろう。

 

ううん、別にそんなに大事じゃないかもしれないよね。ほとんどの人が、きっと自分にはなんの才能もないからと思いながら生きたり、自分を犠牲にしたりしたまま生きると思うから。

 

でも、自分が自分として生きるって、そんなに、大事なんだね。

 

どうしてかって、この世界でそれ以上に美しくて、それ以上に愛であることって

ほかにはあまり無いんじゃないかなとも思うくらい、ただそっと触れただけで涙が溢れるくらいに、それは言葉をはるかに超えた存在であるから。

それは才能を指すのじゃなくて、すべての生きとし生きるものに必ず等しく与えられている。

 

 

だから、そこにただ向かおうとすればよいと思う。

できるかとか、本当にそんな自分に出会えるのかとか、そんなことはどうでもよい。

 

ただ、「わたしって、なんだろう」って思い続けることが、大事なんだよね。

 

 

Frozen の主人公が、その崇高なギフトと真っ暗な海で揉み合ったさいごに、ひとつになったときの冷たい海の凪の静けさは、この世界でもっとも美しい描写だと思う。

何度見ても泣ける。。。😭

 

 

 

まだみたことない人は、1と2両方みてね。

1は、3次元でひとつ進化してくプロセスで、2は、より高い次元に上がってくプロセスになってるよ👍

 

 

 

 

 

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