言葉の責任

タオくんの転校のブログ読んだ。

(参照・つるのひとこえ

なんかこう

無理矢理転校させられたら傷つくし
そのまま意思を尊重しすぎるのもわがままになってゆくだけだし

新しい世界を観れるとワクワクするタイプではないタオくんの根本の性格もあるだろうけど

ちょっとニュアンスが違うだけでガラリとわかる出来事なんだなぁって思った。

言葉の責任について深く考えさせられる。

言葉と心は1つであった方が良いと言うのもよくわかる内容だった。

 

 

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ことばや言い方の矛盾って、日本語のなかでとても起こりやすいと思う。

もともとへりくだりの文化や、謙遜の美徳や婉曲に、間接的に言うことで空気を読めという文脈が豊富な(複雑すぎる)言語だからゆえ

ちいさい子供はいとも簡単に、「それっぽく丸め込まれ」たまま大人になる。

当然大人になっていけば、自分も知らず知らずのうちに、言ってることと思ってることがバラバラな言葉を発するようになってしまう。

 

それって、

 

「自覚」があるうちは素晴らしい言葉の使い方ができるんだと思う。

つまりわかってて、自分がなにをしゃべってるかを自分で認識しながら、あえて回りくどい言い方をするとか、わざと反対の言い方をするとかそういうこと。

 

でもほとんどの日本人のひとは、残念ながら(なんとなく)日々喋ってて、それがこれまた発達障害っ子たちにはカオスでしかない事態になるんだよねェ😂😂😂

 

自閉症の特徴としてよく書かれるのが「ことばどおりにしか受け取れない」とか、この間紹介したギフテッドにおいては、その人の言葉や言ってることがつじつまが合わないと、混乱する。

 

 

”それ論理的に変”って思うと、見逃せないのです。

別に相手を言い負かそうとか、正しさを主張したいとかそういうことじゃなくて、本当にただ

「それ、矛盾してる」と思うとそのまま言っちゃう😂

←これで何度も小さい頃から痛い目を見てきた・・・

(今はセラピストの仕事でそれを見事に役に立てている私👏)

 

ちなみに私はこれは、海外で暮らし始めてピタリなくなりました。そもそも英語のシステム上、さほど言ってることに矛盾が生じることがすごく少ないんだと思う。ストレートだし、中国に住んでたときもそれは自分にとってわかりやすくて同じだった。

 

 

息子やパートナーにはその話をしつこいくらいにしてきて、長年耐えてきてくれた2人は本当に劇的な変化をしてくれてコミュニケーションの質が向上してるんだけど、

 

たとえば

「今日は、パスタな気分」 と、 「今日はラーメンは食べたくない」

を、日本人は相互に変換できちゃう。

(ある意味すごい言語)

でも本来、パスタが食べたい気持ちと、ラーメンが食べたくない気持ちって無関係なのです。

パスタな気分だけどラーメンも食べれる場合もあるし、

今日はラーメンは食べたくないけど、カツ丼がいいかもしれない。

 

 

たくさんの人たちの心の傷だとか、家族間のすれ違いやパートナーシップの諦めを見てきて

このコミュニケーションがすれ違いまくるっていうのは、すごく根本にあるこの言語の仕組みの問題なんじゃないかなあと日々おもう次第です。

 

 

自分のこころのうちを、じょうずに言葉にするのは、誰にとっても難しいもの。

でもさ、自分のこころのうちを、適当な言葉にのせちゃったら、大切な心のつながりって、どんどん失われてしまうと思うんだよね。

せめて、そこを丁寧に使うっていうのは大事にする価値があることのように思う。

 

 

言葉と心は1つであった方が良いと言うのもよくわかる内容だった。

 

こどもたちには、自分の言葉に責任を取れるひとになってほしい。

こころを失う前にね。

 

 

 

となりにすんでるペルー人のきよみちゃん。

オラ〜コモエスタ〜と話しかけてるんだけど、

ことばは通じなくても、コミュニケーションがとれることをふたりに学んでほしいな。偶然同い年で、かわいい😍

 

 

 

 

 

 

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