校区外の学校に通うためのプロセス 8/25/2021
本当の権力の使いかた
家族みんなが心地よく暮らせるまち
君たち、いい男になれよ。
本当の権力の使い方を知っている人たちって
こういうことなんだと
初めてこの生まれた日本という国で
ほんとうに正しいことが、ちゃんと受け入れられていくミラクルみたいな尊い景色を眺める8月
タオさん、1年生の夏休みだった。
自分が、これまで信じ続けてきた
「愛が最後に勝つ」シーンは
こんなにも、まだ心を打つもんなんだと
小学校の校長室を後にしたときに涙が溢れて、溢れて止まらなかった。
6月に引っ越しをして校区が変わり、本当はまだまだとても、2人で生活するための基盤ができていない状態で
新しい学校に転校するか、別々の住所にする、選択肢が全く与えられなかった場所に
今までの学校に通い続ける、校区外が認められる可能性が出てきた。
校区のことは、正直に言うと、新しい学校に行こうが、今の学校に通い続けることができるかどうかは問題ではなかった。
わたしたちは、どんな環境を強いられたとしてもその場所に適応し、そして幸せになる力がある。
じゃあ、どうして役所が
「転校してください」
「転校しないなら、別居してください」
と、なんの気遣いも配慮もなしに校区外が認められる余地を踏み潰して、間違った権力行使をしてきたとき
はいはいわかりましたと頷かなかったのか。
福祉の人がきて、
「またそんな無駄な戦いをやめてさ、、、」と呆れたときには
一瞬ズンとおもりを落とされたみたいに響いた。
ただ何かに楯突いているとか、自分のこだわりを通そうとしていると誤解され続ける人生。慣れてるけど、ダメージをくらう。
ただいろんな人の意見や、考えや、可能性や、
そして対処法を聞いて
そうか。
役所の権力行使が、単なる意地悪であり、
「前例がないから」という理由で
明らかに他のいろいろな事情に相当する(またはよっぽど考慮される度合いが高い)今の私たちの状況を、
次々話をねじ曲げることで
ただこちらの意思や希望を蹴散らそうとしていることが、
やっと理解できたのだった。
そこに屈することは、同時に、本来正しくないあり方を野離しにしておくことでもある。
自分がそこで、どうあるかは、考えるべきだ。
なぜならその役所からの全ての通達の目的が、
子供や人々の幸せの上に成り立っていない。
矛盾だらけで、言ってることもやってることもバラバラで、こちらの状況を真摯に伝えつづけても、そして、
現実的に許可を出すことが可能な方法が絶対に何か、あるはずなのに何もしない。
(なぜなら本人たちが例外やいろんな状況を踏まえて許可を出すことが可能と自分の口から言っている)
それは、ただの怠惰と無知による。
いつ何時遭遇しても、日本のそういうBlindな部分はただ本当に悲しいことだった。
自分たちの転校とか住所別々とかもはやこの際どうでもいい。ただ日本の役所の役所仕事とよばれるその感じや、それが心があるはずの「ひと」で成り立っていることが、ひたすらに悲しかった。
でも、みんながたくさんの策を出してくれて、家族にまで相談してくれて、「こんだけ揃えば役所は動くだろう」と
本当に思えるほどの心強い提案を出してくれたことは
最後望まない結果に終わったとしても、ただただありがたかった。
大きな何かを変えることなんて無理だは、嘘だ。
大きな何かを変えていくときに、小さな全てを絶対に諦めずに貫いて、それがたとえうまく運ばなくとも、力を尽くすこと
できることをすること
できなくても、少なくとも探すこと
自分で無理なら、できるひとを探すこと
力になってくれるひとが、できなくてもさらに、探してくれること
最後みんなの愛がひとつになって
ちゃんと
道理が通っていない、おかしい部分が、真っ直ぐになってゆく
その無限の可能性のことや、この国に確かに増えている希望や愛のもとに動いてくれるみんなのおかげで
わたしたちは、心底守られていると感じた今日
素晴らしい日だった。
自分が信じてきたことも、過去たまらないほどに感じてきた無力感も、なにもかもが昇華されていきそうな日。
力になってくれるみんなに、本当にありがとうと言い尽くせないくらい言いたい。