うれしくて
かなしくて
たまらなく日本をおもう、今日という1日
わたしが、日本のこどもたちの未来へ残したいこと
それは
権利
ここまで軽々しく、人権を踏みにじられても、
尊厳もクソも無いようすで、にこにこ笑う
自尊心のかけらもなく、ひとに虐げられることを、やさしさだとおもう人たち
そして、苦しめ、踏みつけ、最後、相手がボロボロになったところで
「わたしたちが助けますよ」と自らが登場する、まるで古代の演劇かとおもうような
滑稽なシーンの数々を
日々
日々苦虫を噛み潰すみたいな思いで
眺める
そして誰も、自分たちが引き起こした惨劇に気づかずに、
それを収拾しようとする自分たちに酔いしれる、そんな国
そして一部の賢明な人たちが、
みんなの幸せのために、誰かを守るために本気で動いてること
今日の、私を間に挟み
役所の人たちと、キレッキレの看護師さんたちとのやりとり
まさに愚と本質の対極を見させてもらったみたいだった。
わたしが「権利」をこの国に取り戻したいのは、
ほんとうに尊い命が、つねにそのスレスレの場所で、いつも危険にさらされていることに、だれも気づいていないからだ。
選択肢なんて、最初から無いのがあたりまえみたいに生きるのをやめて
その状況を自分たちが作り出していることに、
ただ、気づいてほしい。
大きな組織だとか
役所だとか
なにかに巻かれて
間違ったことに言いなりになることは
ことを荒立てぬことは
楽な道だとおもう
たてついたって無駄だから
言われた通りにしようって
いちいち決まりやルールに意見を言って
戦うことは愚かに思えるかもしれない
でもね、ひとごとじゃない場所までそれは、ほんの側まで痛々しいほどに忍び寄ってるんだよ。
自分たちが苦しい状況を、作り出したのは、自分たちなんだよ。
いきなり勇気をだして、社会を変えるとか、法律を変えるとか、そんなばかげたことをするのは、一握りのそういう役割のひとたちだけでいい。
でもさ、
誰かがやってくれるから
自分は穏便にとか思うのはもうやめようよ。
明らかにおかしいことを、役所や、組織や、先生や、会社や学校は、
あたりまえのように言ってくるでしょ?
せめて、これはどう考えても、おかしいのにと
疑問をもって、
せめて1分でいいから
それについて考えて、
誰かがどこかで本当に生きるか死ぬかに追いやられているんだってことを
思い出してよ。
いい?
たとえば子供たちが、
牛乳を飲むか飲まないか、選ぶ権利なんて、ほんとうに、最低の最低の最低のあたりまえにわたしたちが持っていていいはずの権利なんだよ。
それが、病気やアレルギーがない子供は、牛乳をがんばって飲まないといけないのは、ほんとうに、命にかかわる地獄の強要なの。
なんのための医者の診断書なの?
こどもたちの健康のためじゃないの?
それとも、ルールを守らせるためにその決まりはあるの?
ただのバカだよ。
わたしたちのこどもたちは、未来この国を
わたしたちと同じように、生きるんだよ。