いつか料理をやめた、冬の日のこと

料理をやめたあの冬。
わたしは、どこへ向かおうとしていたんだろう。

パークスロープの、春になると一斉にマグノリアの花が上を向いてさくプロスペクトパークの周りを歩きながら、わたしはただ、それまでがむしゃらに渡り歩いたマンハッタンやブルックリンのベジタリアンの厨房に思いを馳せた。

わたしにとっての聖域を、離れることを決めたとき、きっとわたしは、自分の人生を歩むことをささやかながらに決めたんだと思う。まだ雪がたっぷりと残る道路に光が反射して、眩しい季節だった。

古くて小さな南向きの窓のついた、日当たりのいいアパートの小さな非常階段に、BASILの鉢を置いたり、大根をそこに干したりしながら
そこに延々腰掛けて、辞めた料理の仕事と、これからの未来と、間も無く切れるアメリカの滞在査証をどうするか考えた。

目の前は小学校で、朝や決まった時間に子供の声がどこからともなく聞こえて、それはいつも心地のいいBGMになって、その上のあたりを小さな鳥の群れがいつも行き交う空を仰ぐのが日課だった。

ある日台所の椅子にこしかけて、ただ窓の外を眺めながら静かにしていたら、日本人の画家のルームメイトが

「何を考えてるんですか」とわたしに訊ねた。

「何も考えてないです」とわたしは答え、わたしは確かにそのとき何も考えていなくて、それは普通のことだったが、

彼は「珍しいですね」と言った。

「そうですか」と言うと、

「ニューヨークには、テキパキした人ばっかりじゃないですか。そうやってぼうっとしてる人、あまり見たこと無いです」

そう言われて、なるほど然り、わたしもあまり、見たことがないなと思った。

ニューヨークという場所はとかく忙しない。

背中に太陽の光を浴びながら、うつらうつら何もしないということや、目的のあるひとばかりの中で、ただそこに静かにいること。

ところでわたしにも、一応目的はあった。料理で、何か人の役に立って、世間から認められるとかそういうことだった。店を一軒任される話をもらったこともあるし、マンハッタンの店舗のマネージャーみたいにして仕切っていたこともある。
自分の作ったロースイーツ(火をかけずに作るデザート)はいつも人気があり、店を出した方がよいと度々言われた。

それから10年以上経ったあと、自分がこの手で触れて見て経験してきたその全てを、これからどんなふうに料理をしていけばいいのかをよく考えるようになった。

 

いつか、わたしが料理の道を志したときに、料理ではなく「生」に向かっていたことや、いつも最後にたどりつく答えが、とてもスケールの大きな場所に向かうように
今もまた、壮大に広がる「これから」を前にただじいっと日向で空を見上げるのだと思う。

いつか料理をやめた、あの日と同じように。

 

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