注射が嫌いなわけ

わたしは注射が嫌いである。

ただでさえ、普通のひとよりも肉体的に負担がかかる状態で長年生きてきて(パニックやその他発達障害由来)苦しい思いを散々してて、

何もないところで転び、怪我をして、今週も京都のともだちの家の中で段差につまづいて捻挫して、気づいたら体に打身ができてるのに何が起こったか思い出せないようなせわしない人生を歩んできている。

そんな中で、わざわざさらに、元気いっぱいなのにこの身体に針を刺して痛い痛いと言うのなんてゴメンなのである。

 

ところが実は反対に、理にかなっていることや、必要なこと、避けては通れない痛みにはむしろ人よりとても強い。

 

前に、修行僧のハナシをしてて

”生き埋めにされて一週間くらい土の中で過ごして、そのあと生還する奇跡のモンク(僧侶)!!!!!”

みたいのを見たときに、

ああ、これ私本気出せばできるやつだわあ〜。。。

と言ったら

 

「マイさん・・・マジでできそうだからやめて😭」

って言われて話してたんだけど、そのくらい痛みや苦しみ、死に近いスレスレで生きてきたので。汗

 

そして、それとは対照的に、不必要な場所に発生する痛みにとても敏感である。

なぜなら、ただでさえ苦しみの多いこの世界において

「気づいてないから」ひとを傷つけたり、「知らないから」自分を苦しめてしまったり、意識が閉じていることが原因で、無駄に発生している痛みを散々見てきていて、いまだに他人のそれで苦しめられる場面がたくさんあるからだ。

 

癒しが進み、気づきが進み、「そういうことだったんだ!」と意識が開いていくみんなは、

まず第一声本心から私に謝ってくる。

 

「気づいてあげられなくてゴメン・・・」

「今まで苦しめて本当にごめんなさい・・・」

そうやってこれまで涙を流す人を何度も見てきた。

 

 

それは、個人的な自分への罪滅ぼしという意味合いじゃなく、人として成長し気づきにつながっていく、愛が行き渡っていくという気づきという意味で素晴らしい反面、まだまだ世界には、こんなにも悲しいことは無いと思うような、ただ「無知」から来る不必要な痛みに満ちている。

 

日々、その部分がどうしたら底上げされていくか考えている身としては、

みんなの無知や、気づいていない状態により命をおびやかされつつ、そこに怒りも持たず、何とか気づきに繋がってほしいと祈っているので

「ハイ、採血しますね〜」とむやみやたらとブスブス腕に針を刺されている場合ではないのである。

 

もちろん検査が必要で、栄養が必要で、血を取ったり点滴を打たれることはある。

ありゃとても便利なシステムだよね。💦

 

でも、つい前日採血の結果で「何も問題ありませんでしたよ、健康ですね」と言われた翌日に、なぜ別の人に

”そういうルールだから”という本質から外れた理由で痛い思いをしなければいけないのか?

そこには本来、拒否する権利が当然のようにあるはずだと思う。

 

その抵抗は、注射や予防接種を否定するためじゃない。ただ痛くて嫌だとわがままを言いたいわけじゃ無いから。

わたしは痛みには強いが、無意味な痛みや苦しみに抵抗しているだけなのだ。

 

「わたしたちには、気づきが必要だよ。」

いらない痛みを無くせば、どれほど世界はうららかで愛に満ちた場所になるか知ってほしい。

お願いだから、自らの無知によって、自分たちを傷つけたり痛めつけたりし続けないでほしい。

 

ただその思いからそうするだけなのだ。

 

予防接種に関しては、子供が小さいときに、とても不自然だなとひたすらに感じた。

その生まれたばかりの命は、みずみずしく、完璧な調和に満ちていて、元気で、健やかで、生命そのものといったところだ。

そこに栄養いっぱいのおっぱいや、手をかけたご飯や、季節の果物を与えることは、その調和の延長線上にある。

でも果たして、そのふかふかの存在に、針を刺して、特にどこも問題がなさそうな状態にあえて、化学物質を注入すること。

予防として、社会ではあたりまえのように小さな子供たちに「予防接種」をするのが当然みたいな感じで書類とか送られてくるけど、

自分の肌で感じる感触と、ほどとおいその注射は、少なくともわたしとわたしの息子には全く必要がない気がした。

 

 

注射が好きなひとは稀だとおもうけれど、大切な選択として打っても打たなくても良い。それはとても、コントロバーシャルなテーマだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

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