「とくべつあつかい」

「とくべつあつかい」

を、とにかく許されてきたこの人生だった。

人が何て言おうと、誰が文句を言おうと、嫉妬されようと、

嫌な目で見られようと

それでも

とくべつあつかいを、自分に許してきた。

 

それは、

ひとより、偉いと思ってたからじゃない。

ひとより、とくべつだと思ってたからじゃない。

 

ひとよりも、いろいろなことに手間がかかるから、

ふつうのひとが5分でできることが、3時間かかったり

みんながあたりまえにできることが、ただできないから

 

その分を差し引いて、楽なやりかたを許してもらうこと。

 

日本はまだ、学校や、組織や、そういう場所で

「とくべつあつかい」はできないと多くの場面でそう言われる。

 

それは、わがままであり、ひとりを許すと、全員に許可をしないといけなくなるから、という理由で。

 

ひとよりも、とても苦労をして、

たとえば靴の紐を結ぶのに3時間かかる子がいたとしたら

彼だけ、紐ぐつじゃない靴を履く権利を与えることは、

わがままだろうか?

 

 

何度も何度もそういう壁にぶちあたりながら、この世界が変わっていくことを、祈る。

それは、わがままじゃなくて、ただ彼が、幸せにみんなが駆け回って走る時間を

共有するための

たいせつな、「権利」なのだと。

 

まちがった、特別扱いじゃなくて

泣きながら3時間の苦痛を過ごす人生から

彼を自由に解き放ち、ただみんなと同じように過ごすことができる

魔法の切符なんだと。

 

 

まだまだたくさんの大人たちは、大切なことに気づかずにいるけれど

それでもわたしは、ちいさな1個1個をあきらめずに、

この世界の全員が

とくべつあつかいを受けられる日が来ますように、と願ってる。

 

「まいさんだから、しょうがない」

はね、惨めだよ、言われると。

 

すごい叩かれているような、自分にきっと、非があるんだとその子は思ってしまう。

いまでもきっと、学校や保育園で窮屈なおもいをしている発達障害の子たちは、ずっと苦しいままでいると思う。

 

 

でも

「まいさんだから、いいんだよ」

はね、世界を救うよ。

 

それは障害あるなしに関係なく、

すべての人に与えられてる自由だと思うな。

 

 


サングラスをかけたママの絵

 

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