母の愛はVIPパス

今日そういえば、

仕事で、あきらかに自分の立場や役割が重要な中で、とても下に軽く扱われるのは何故なんだろう、という話が出て

最終的には「母の愛」というのがどういうものか、っていう話とリーダーシップについてのまとめで終わったんだけど

ちょっと夜になってふと、VIPパスのことを思い出した。

 

VIPパスというのは、いわゆる一般の人が入れないとこに入れるチケットで、結構こう、特別感というか、何の略なのかは知らんけど、「わたしは特別だぜ」という印を胸に貼って堂々としていられるアレのことである。

わたしはコナンが好きなので、毎日コナンを見るのが日課なんだけど、鈴木財閥の園子お嬢様がいつも貰ってくるのがVIPパスであるとともに、実はそこにはもうひとつ、意味があるのだと思ったのだ。

わたしが太古の昔ラジオやテレビの放送局で働いていたころ、関係者以外入れないVIPパスというものを貰って、ライブやらイベントやらに入る。

その頃は、テレビこそ見なかったものの、音楽浸りだったわたしの人生にとっては魔法のチケットだった。絶対に入手できないようなコンサートも、高価なバレエのチケットも、即売り切れの人気バンドのライブも、出入り自由でもらえ、関係者席で眺めることができる。

ちょうど愛知県で万博が開催されてた頃だったので、全国から来る偉いじいさんの引率係に選ばれたわたしは、繰り返し繰り返し愛知万博を見学して、フィンランド人の女の子をナンパしたりしていた。

 

ところで当然、それは、わたしが重役だからもらえるのではなく、単に社員とか、下っ端のスタッフだからもらえるものだ。

VIPとは書いてあるが、走り回る小汚い仕事でも、それは同じことだった。

 

 

それでね、今日、

明らかに私と彼らの立場って違うよね?なのにどうして簡単に、下っ端がやることを頼めるんだろう

という話になったときに

それって

「おかあさん」が、そうだからなんだよね。

と説明した。

 

 

自分への自己価値が低く、大事にできていないために
むやみやたらとやりたくないことを押し付けられる段階の人は別にして、

そうじゃないとき。

 

「なにものにでも変身できる」愛こそが、母の愛なのだと思った。

 

お母さんの愛を全うしているひとは全員が全員ではなくて、男か女も子供がいるかどうかもあんまり関係ない。(実際今日の方は子供はいない)

スケールの大きな愛とでもいうのかわからないけど、子育てが上手とかそういうのともあんまり関係ないと思う。

 

とにかくその「おかあさん」てのは、子供たちの先生でもあって、ピシっとしかることもするし、召使いのように走らされることもするし、こともあろうにゲーゲー吐いた食事の処理や、うんちを漏らしたときの掃除までする。

変な責任からやる老人介護とは似て非なるものであって、

 

まあひとことでいえばスーパーマンのようなものだ。

 

 

それでね、その役割を、

「わたしのような大事な立場に、なんでこんなつまらない仕事を?別に快くやるんだけどさ。」

と、重要なことから小さなことまで自由自在にやれること。

プライドなんておかまいなしに、愛せること。

 

 

それもまた、誰にでもできることじゃない。

 

でもそれをもしも、勝ち得たときには、自分に対して

とても安心したどしっとした価値ある重役感とともに、同時にフレキシブルに、した手に出ることができる謙虚さみたいなものを行き来できるようになる。

 

この感じ、どこかで昔、感じたことあるぞ。

 

あ、VIPパスだ。

 

 

わたしはそう思った。

 

 

「わたしはお母さんだから」「おかあさんならこうすべきだから」「わたしには子供がいないから」「ママなら愛があるはずだから」

 

のうちは、一番安いチケットを、自分で買って、長蛇の列に並び、遠くから好きなアーティストを見るしかない。

 

母の愛は、相手との間に無限のアクセス権を得る。

 

それを、すべてにかけよう。

子育てだけじゃない。パートナーや、仕事先の人や、見知らぬひとへも同じように。

 

今後個人セッションが60分に短縮します。これまでの既存のクライアントさんは、また個々に相談させていただきます。今日は一応、区切りだけ一緒に確認する形でやってみたけど、また改めてお知らせします🙏

 

 

 

 

 

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