とても後からの、”ごめんなさい”

わたしがこれまで大切な人たちを失ってきたとき、わたしはこの身をよく呪った。誰かを責めたり怒る気持ちは、責めてるわけじゃなくていつも真剣に、誰かに大切なことに気づいてほしい

それだけだったから。

それが届かないどころか、そばにいて欲しかった人から背を向けられる痛みといえば、言葉にできないものだった。

ところが次第に、

それから時間がとても経ったあとに
必ず誰か相手から謝罪が届くことに気づいた。

それは3ヶ月後のこともあったし
一年後のこともあったし、とても時間が経過してからすっかり自分の中では相手の存在すら忘れているような時もあった。

てか、ぶっちゃけ自分の身の回りのことに日々全力で生きてたわたしにとって、蚊に刺されたくらいにあんまり気にしてないスルーしてた出来事とかもいっぱい。

 

それを繰り返して、わたしはだんだん自分の身を呪うことをやめて、時間差で
みんなの中で、大切な気づきにつながっていくことを静かに祝福した。

 

 

人がほしいのは、実は、謝罪ではない。

謝罪ではなくて
本当に理解した、自分を省みることができた、という気持ちなんだよね。

 

 

わたしは自分の気が済む個人的なことために、怒り心頭で誰かに何かを言うことはほとんど無かったのだと思う。

いつも混乱するのは、相手の中にめちゃくちゃな矛盾とか、ズルさとかがかいまみえるときばっかりだったから。

自分にそうしないで欲しい、っていうかは、
そうやってしかできないときの相手の苦しさが、痛いほどわかる感じ。

 

ただただ、

それじゃダメだよ

それじゃ愛する人を守れないよ

それじゃ
なりたい自分になれないよ

それじゃ愛する人を傷つけてしまうよ
それじゃ、あなたがずっと悲しいままだよ

 

 

そう言うことを
ただただ
その人の中にある矛盾のことを
伝えたかった。

 

 

だからそれがとても後になって

「あの時はごめんなさい」
と言われると

一番嬉しいのは、

その人がもう一度連絡をくれたとか
謝ってくれたとか
また会えるかも知れないとか

そういうんじゃなくて

しかるべき場所に
その人が戻ったという安堵だけ。

 

 

そういう日はホッとして、ハイファイブのお風呂に入ったりするよね。

勇気を出して、ごめんなさいって言ってくれてありがとう、と思う。

 

 

とはいえ、みんな失敗を繰り返して、そしてそれで終わりにしちゃうのは、

どうしたらよかったのか、

なんて言えば、よかったのかを

誰にも教わってこなかったから。

 

きっと、嫌なずるいやりかたで自分を守るしか知らなかったんだと思う。

 

昨日は夜中に美奈子さん(THE NENEの元店長で今も奮闘中😅大好き)

にブチギレて、ぎゃーって怒った後、

「言いすぎましたごめんなさい」

と言った。

 

一度彼女をうしなって、たまらない悲しい時間を味わい尽くした今は、怒ってもなにがあっても、とにかく失いたくはないと思うから。

 

美奈子さんもまた、いつか離れたときのずっと後になって、

あの時はごめんなさい

と言ってくれた1人。

 

少し話して、自分がわからないことや
うまくできないこと

人に嫌な思いをさせることがわかってるけど、どうしたらいいかわからない部分を

私を通して乗り越えようとしてくれてる。

 

 

喧嘩したり、怒ったり、叱ったり、すれ違うのは

離れるためじゃない。

より良くなるための、本当の信頼や愛に向かうための

大切なプロセスなんだ。

 

 

あとから謝ってくれたみんな、ありがとう

いつもたいてい、怒ってません。😅

 

 

 

このまえ、ずっと悩んでた件で
お友達に嘘をついてずるくされたら、たおくんだったらどうする?て
相談したあと、

自らの告解をしてきたたおさん。

「ママ、じつはまえに、のどがコンコンなったときに、うがいをせずに、どらえもんのアメ(咳止めドロップ)をたべたの、ごめんなさい」

 

かわいい😂

 

 

 

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