登る、手前の苦しみ

これまでみんなの

大きな大きな山を登る手前のすがたを

なんども拝ませてもらってきたけれど

本当に

その神聖な時間といったら

登り始めた時や

頂上へ辿り着いた時や

登り終えた安堵とは

本当に別のものだな、と思う。

 

 

とてもひらたくいえば、取り掛かる直前の

その、コミットする手前の、

その最後の瞬間が

最も苦しくて辛くて

ぜったいにできない

とそう感じるものなんだと思う。

 

 

 

わたしも何度も何度も、じぶんが拡がっていく時

大きな何かを赦してゆくとき

みながまだ何も知らない場所へと立ち入る時

全てをうけいれるとき

 

同じ体験を、してきた

 

自分にとっての

絶対に「無理」が、覆されるとき

 

小手先の言い訳や

小手先の弁解や

自己弁護や

本当にすべてが筒抜けのチンケな言葉の操作を前に

 

 

ただ自分だけが真実へと向かおうとするその勇気

 

それほど、絶対に無理だ、と

感じる瞬間は無いと思う。

 

でもね、

世界は

この世界は

 

 

最後

愛が天から味方されるように、できているんだよね。

 

 

それだけは、言い切ることができるから

 

わたしは、表面的な言葉でごまかして笑う誰かよりも

その全てを見透かした上で、苦しみ、言葉を探し、真実と愛に向かおうとする人を応援するんだ。

 

どうしてかって。

 

 

あなたがそして、乗り越えられたら

表面的なエゴで自分を死守してすり抜けようとする誰かが

そこで初めて

 

あなたによって

気づきを得ることが、できるから。

 

 

 

世界は確実に、愛へと向かっている。

 

 

わたしはそれが、嬉しい。

今日も。

 

 

 

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