さそりざの満月

これまでで、もっとも長く感じた夜だった。

あとからみたら、蠍座の満月はとてもディーブな根深いやつを浮上させるエネルギーだと書いてあった。

生きるか死ぬかの窮地でこそ、真価を発揮する

いちど全てを壊して再生するみたいな。

 

もともと、破壊と再生の人生で

一体何人分の人生の経験をしてきたの、

ってよく言われるけど

 

そんなわたしにとっても

早く終われ、おねがいだから早く終われと

願い続けた1年

そしてホラーだった昨日の夜

 

まだ、なにもかもが終わったとはいいがたいのかもしれないけれど

わたしはとかく、

精神病棟の黒縁メガネをかけた若造先生と、どこもかしこもピントが派手にずれた場所でしか

会話ができない看護師さんたちを前に

 

そしてどこに行っても

学校や 役所や 病院や 日本のすべての場所で

ハンを押したかのような言い方でしか

皆、本当に意味のある言葉をつかえない場所で

 

愛や、思いやりや、真のコミュニケーションのような

ほんとうのことを握りしめて戦うよりも、

 

「もう、負けを認めるよ」

「君たちの勝ちでいいよ」

 

誰かがずっと延々と、不幸なまま
それに気づかずに、おどけてみせる世界

それでいいよ、

とそうおもったのだった。

 

 

 

わたしは、とても、悲しかったのだとおもう。

本当に助けが必要なおおくの人が、助かろうと最後に駆け込むその場所が、こんなにも怖い場所で、そのことに誰も気づいてるそぶりがないことに。

 

そして、最後の烙印を押されたように

保育園も

学校も

どこも、かしこも

日本の現実が、そのことにかわりがないことが、どれだけ足掻いても、もしかしたら

ひとつくらい、たったひとつくらい探せば

ちゃんとしてる場所が
あるんじゃないかと

そう思っていたから。

 

ときどき、意思疎通が図れる人が混じる。

そういう人が、わたしの詰まった喉の代弁をするようにして

「多分こうしてほしいんじゃないかな」と誰かに言う。

 

そうして、ものごとの優先順位や

目先のことじゃない、何かをちゃんと見ている人の声は、

あっというまにかき消されてしまう世界。

 

みんなが同じでなきゃいけないとか、誰かを特別扱いはできないとか、右へならえの悪意のない「いいこと」を

そんなのは一昔前のことで

今どきどこも、自由に向かってるに違いないと

わたしですら、そう信じていたから。

 

 

 

うわべの言葉を信じたり

それに翻弄されつづけて混乱しなくてもよいのだと

 

誰かを信じられないことと

信じらえる言葉だけをひろうことは

違う

 

 

これまでも、わたしはずっと

そうやって

世界の中のゴミの山みたいな場所から

宝石の小さな粒を見つけることで

それで生きてきたじゃないか、

 

それを取り出すことで、ひとは涙を流してたじゃないか、

 

果てしなく擦り減ったボロボロの過酷な旅の果てに、

なにか素晴らしいものを見てきたことよりも

本当の現実を見てきてそして、

 

このままじゃ、ダメだよ、と溢れてくる涙は

いつもどおりの愛の味がした。

 

 

それでも、受け入れて、

手放し、見捨てるわけでなく

祈るようにして眠る夜

 

 

この国がそして、豊かで平和でみんなが優秀であるからこそ

わたしは、ずっと混乱し悲しかったのだと思う。

 

幸せになるために、苦しむのはもう終わりだよ。

でも、今が正しいなんて絶対思っちゃいけないんだ。

今、何事も困っていないからこそ、

小さな声に

耳を傾けなきゃいけないよ。

 

 

 

 

 

 

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