3次元に愛を注ぎ続けた巨匠

ただの長い独り言

次元があがるって言葉がどうもしっくりこなくって
視野が広がるって事と
イコールだと思うんだけど。
視野の広い人にはなりたいけど
次元の高い人になりたいわけじゃない。
イコールなのだから同じか。
なんでだろうと
思ってたじゃんね。
それがわかった!
ジャッジされてるような気がしたんだ
次元の低い人はだめみたいな。
視野の狭い人はだめとは思ってないみたい
変なの
わけがわからなくなってきた

 

 

女神の告白室にて24時間自由にみなさんからの投稿

お待ちしています♪

 


これみんな同じようにして、3次元/高次元とか

次元が上がっていくって言い方をすると

すべてのひとが次元関係なくすばらしい!みたいに誤解して優劣をつけちゃうんだよね。

 

わたしも、3次元バリバリで生きていたころ、ずっとそうだった。そして始まる違和感と抵抗と

「高い次元」って言い方が嫌

のオンパレード

 

みんなでもこれ、どんなに下層にまで愛を注ぎたい。だれもが平等で

高いとか低いとかジャッジしたくない!

みたいな想い(まあこれもエゴっちゃエゴなんだけど)からそうなります。

 

それで高い次元に感覚が入っていったひとたちが、なぜそういう言い方をするのかというと、その場所にはもはや

優劣とかジャッジがないからです。単に高い低いにいい悪いの意味合いを持たせていないので、そういう言い方をするのに抵抗がなくなるってこと。

 

感覚としては、

便宜上

 

「未就学児さんこちらね、小学生以上の方こちら」って言う感じ。

 

これって本当別にどちらが悪いとかいいとか低俗とかって意味で使ってない。

みんなそれを誤解して3次元とかいう言い方嫌だってなるんです。

 

「わたし、未就学児っていう言い方嫌い!まだ小学生になる前のお方って呼んで欲しい」

いやいや別にいいけども。

年がきたなら普通に進学しやいいんですよ。

もう6さいなのに、

「わたしは小学校っていう言い方が嫌いだし、未就学児とか区分けされるのがいやだから、わたしは小学生にはなりません」

って言ってる6歳がいたら、やー、エゴだね。って感じだよね。

 

その感じなのです、3次元、4、5次元みたいな言い方は。

 

次元が上がる、は「進学する」ってくらい、別に進学したからえらいとかどうとかじゃなくて誰もが未就学児から小学生になって、中学生になるでしょ。

 

なぜそれが、進む流れる方向に

低い⇨高い

と言われるかというと、

 

中学生から小学生になるひとってあんまおらんでしょ。

まあ中には小学生から未就学児になる人も、この世界にはいるのかもしれん。

 

 

でも普通の流れは、成長して歳取れば、順にそって進学してく。

魂や精神もそうなのです。

3次元的な生き方から、より愛を知り、エゴをそいでいってシンプルになっていくことは

高い次元になっていくということで、そこから

3次元に戻る

 

ってことはほぼありえないんです。

 

 

でも愛がありますよ。

 

3次元のひとは、そういういいかたを嫌う。馬鹿にしたり見下されてると誤解するから。

でも高い次元にいるひとは、結構3次元に手を焼きつつも(ネガティブな感情やエゴのようなもの)本当に愛を持ってます。

 

未就学児、かわいい。

と心から思っているので、いちいち平等ですよという言い方をする必要もなく。

 

 

だってわたしたちがそもそもみんな平等なら、いちいちめくじら立てる必要もなくなるでしょ。

 

 

ちなみにわたしはウディアレンの映画を見ると、

まじでアホしか登場しないので、超ド3次元の金や名誉や美しさやステイタスやいっときの恋にうつつを抜かす本気な人々を見て、すごくほくほく幸せな気持ちになります。

3次元、超面白いって毎回、心の底から愛とときめきを感じて声を出して笑う。

 

かといえ未就学児に憧れても、もういちど幼稚園に入園するわけにもいかないけど、愛するのは自由じゃない?

関わりかたや愛し方ってどこまでも自由だとおもう。

 

 

恋するおじいちゃんウディアレン巨匠。

このひとの3次元愛はほんとうに神がかってると思う。

 

 

 

 

 

 

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