まいさんに本当は
あったこと思ったこと全部ぜんぶ言いたい伝えたい
それで全部ぜんぶわかってほしい
これはたぶん…受けとめてほしい
セッションでも
何かキーになるようなことを話して
いっぺんにあたしのつらさがひっくり返って
すごくすご~く楽になったらいいのにといつも思う
でも何をどう話せばいいのかいつも焦るばかり
何度も何度も送ってごめんなさいて思う
毎日のように帰ったら書こうとか思うけど
帰ったらホッとして流してしまう
今だって本当はちゃんと向き合って納得いくように書きたいけど
お昼休みなんてまったく時間が足りない
女神の告白室にて24時間自由にみなさんからの投稿
お待ちしています♪
今日ちょうど、サトと同じ話題について話していて、シンクロニシティ。
サトというのは色々最近、ミーティングなどやチーム間の情報を共有するときに伝達をてつだってくれている人で、親身になってわたしのパニックや混乱、発達障害理解をしようとしてくれている。
わたしが出した例は、
小さい子供というのは、ある時とても謎だなと思って見てたんだけど、
100ぱつ100中、
「おしっこしてくる。」
と、連絡をするんだよね。
一人でできるようになっても、
「おしっこしてくる。」
一人でおしりふいて手洗えるようになっても、
「うんちしてくる。」
と言う。
その現象を眺めていて、同じことが自分にも起こるなあと思ってきて。
つまり、
自分で自分のことがいろいろ処理できる⇦⇨より助けを必要とする
の度合いによって、
(うんちしにいくけど、まあ別に俺ことし44さいだし、わざわざ奥さんに言わないで勝手に行こう)
とおもうか、
「うんちしてくる。」⇦ママ37歳
と言うか。
に出てくる。
「自分のことを世界に共有しておくこと」が、こまったときに解決するときに世界から手をさしのべてくれる
ということを肌で知っている感じ。
たとえばまだ、うんちが上手に出ずにこまる事態が発生するかもしれない。そのとき、1人では解決できないけど、ママにうんちしにいくことを言っておくことで、助かる可能性を大幅にあげておくみたいな。
わたしはちなみに、本当に彼氏とかができると、
1日の出来事をずっと、「今からセイユーにいく」
「いま玄関で荷物のひとがこう言った」
「今日のご飯はこれにする」
とか延々と言っていたんだよね。
そのときは、特に褒めてほしいとか、承認してほしいとか、認めてほしいとか、寂しいとか、かまって欲しいとか
まったくそういう感じじゃなくて、
ほんとに
小さい子供が「トイレいってくる」
というのと全くおなじ感覚で。
それで最近謎がとけてきて、なるほどこれは、できないことや、わからないことが多すぎる自分の身をまもるための本能みたいなもんだったんだなと気づいたのでした。
なので、
みなさんから、今日あったこと思ったことをただ自由に送ってもらうのは、直接今この瞬間に何か助けるとか、そういう意味ではなくても
「なんでも言える場所があって、全部それをちゃんと受け止めてもらえて、わかってもらえる」
見守り感みたいなの。
そして、いざとなったときに、さっと助けられる状況(ある程度把握している)
がもし、自分がただ存在しているということで成り立つなら、とても嬉しいことだとおもったのでした。
言葉で言えなくても、うまく説明できなくても、まったく話せなくても。
それでもこっちにはちゃんと理解できたり、伝わるんだなということがとてもよくわかる最近。
今日も、言葉に不自由のある自閉症っ子たちの事件を解決した朝。
「いまからトイレ。」
「(いまからトイレにいくけど何も言えないよ)」
投稿、いつもいつでもお待ちしています🌱