昔から、わたしは月曜日が好きだった。
週末に世界が混沌とするのが終わり、週の初めにみなが憂鬱そうに1日をスタートするとき
もとの調和が戻り、ほっとする感じ
そして、同じものが並ぶという美しさのことをいつも、思っていた。
反復には調律された美が宿るものだ。
それがたとえ
送られゆく一週間
だとしても。
何度も何度も繰り返しそして
何気なくやってくる週末。
それこそが今
わたしが存分に堪能してやまぬ、端正な美しさなのだ。
10/10/2008
イレギュラーに対応しきれないことや、いつも同じであることに安心すること。
自閉症の特徴。特別でスペシャルなことが嫌いなわけでも、日曜日のおでかけが嫌いなわけでもない。
ただ、みんながいつも毎日同じ時間に起きて、朝ごはんを食べるものが、突然週末だけ1時間ずれることが、毎日来るはずの鳥のさえずりが、今日だけ鳥が風邪をひいてしまったみたいに
わたしはとまどってしまう。
家族にそれを知ってもらおうと、話をしながら毎週末パニックを繰り返したこの秋。
ある日、今感じていることを、ただ絵にしてみようとお父さんが買ってくれたマゼンタの新しい絵の具をおろして無計画に色を落としたら
その絵のタイトルは、「発達障害」になった。
37年越しにそして、自分のことがわかって
はじめてパニックのことを絵にしてみたら、それは意外にも可愛くて、そうか、わたしにとっての日曜日や、月曜日は、こんなかんじなんだなと。
パニックで地獄のように苦しい脳みそが締め付けられるような痛みとは裏腹に、絵の上でスプラッシュしている色は楽しそうにみえる。
どれだけ涙し、苦しんでも。
それでもわたしが臨んでいる景色はこんなにもキュートな色なんだとそう思った日。
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今日訪問してきた看護師さんが、地獄のパニックについて話す初対面の私を褒めた。
「ひとりでコンビニまで歩いていけたなんて、すごいことです!」と見当違いなコメントをくれて、なんの解決策にもならないことを言われたので、
「いや、朝からパニックと脱水症状のぼろぼろの身体を引きずってコンビニのご飯を食べたかったのではないので。」
と言った。
てばなしで人を褒めることは、それがたとえなにも言えぬ3歳であろうが、ボケた80才であろうが、ただ失礼なことだと私はそう思う。
精神障害とか関係ない。
それは希望でも、解決策でも何でもない。
ただの社交辞令だ。
この絵の光のほうが、よっぽど希望に見える。