自閉症スペクタキュラー

死にかけてる日々。

こうやって書くと、みんなにいろいろいらん気を使われるのが昔から本当に嫌で、あんまりブログ上では死にかけてることは黙ってるようになったんだけど。

死にかけるわたしを、ぎりぎり生の方に保ってくれるのが、しごとであって制作であって、ひとと話すことであるので

死にかけているからそっとしておこう、と放置されることが一番苦しくて地獄の原因になったりする。

制作の合間に打ち合わせがあったりセッションがあったりして、わたしはほとんど年中死にかけているんだけど、そのおかげで生きている。

1月も終わり。

今月は身体もボロボロな時間がおおくて、辛かったなあ。

依頼いただいた香りも順調に仕上がってきて、ほっとしてる。

 

環境が変わることに対応しきれないことが本当にわかってきて、日々いれかわりたちかわり誰かが手伝いに来ることが、ストレスになりすぎて混乱しまくってる。

2月からはなぜか、家に週3回看護師さんがくることになっていて、もはや何が起こってるのかよくわからない。めまぐるしすぎる。

わたしは自分のことをすごく健康な人間だとおもっていて、普通に生活できるとおもっていて、ほぼ病院とか行ったことない人間だった。それがこの秋から病院という病院をかたっぱしからハシゴして、何が起こってるのかを知ろうと血眼になった。

結果ペースを乱されることで混乱しすぎて、ほぼ誰から見ても100パー精神障害とみなされる結果となった。

自分のペースを作る手助けをしてもらいたかったのだけど、それは見事に失敗に終わり続けて、自分のペースをぐしゃぐしゃにされて今にいたる。

 

自閉症とか、ADHDとかという言葉を、いままでの人生聞いたことはあっても、ほぼ自分には超関係ないと思いながら生きてきた自分。

もちろん知識もないし、いまになって周りの人々にたくさんのことを教えてもらうと、

「ここにこう書いてあるけど、マイにも当てはまる?」

が、それ私のことやん。

としか思えないことばかりで、不思議な気持ちがする。

昨日ふと、「わたしはADHDである」と言えるひとは、多分軽いADHDだと思った。

なぜなら、記憶がとびとびになる人間にとって、ADHDの4文字を覚えることはかなり難しいからである。ちなみにわたしは今だに自閉症スペクタキュラーとかAGHGとかADHJとか、あってんだかなんだかよくわからないふんわりした言葉が頭に浮かぶし、人に聞かれると、うまく言えなくなる。

 

私の計画では、10月に発達障害と診断されたのちに、ひとしきりその世界をめぐりめぐって様子をみて、一周して戻ってくるつもりでいたんだけど、3ヶ月以上が経過し、そろそろ疲れ果てたので発達障害じゃなかったっていうことにして(生まれつきの脳の偏った状態だからなかったことにできないけど、得意の忘れればいいかもしれんと思い、今日記憶よ無くなれと唱えたけどダメだった。)、またスタートしようかなあとか思ってるよ。

 

理解し、サポートしてくれる人がそばにいると、天国みたいなその状態(発達障害という状態)。

理解してもらえず、サポートがチグハグになると、地獄みたいなその障害

 

数少ないわかってくれるひとのおかげで、希望を見失わずにじりじり進むのであった。

昨日はその、わかってくれる数少ないみなさんの1人、ゆきちゃんがきてくれて素晴らしく楽しい時間が過ごせた。

ゆきちゃんは、カッコいいママ。

いけてる。

これからやろうとしている子育て食コミュニティの中枢人物。

昔はしゃべりが達者すぎて(ゆきちゃんは頭の回転がめちゃ早いので、会話がスピーディ)

喋ると目が回ってたんだけど、「ゆきちゃんと話すと、疲れる」と正直に言えたおかげで、いろんなことがものすごく楽になった。

本当にたよりになる。ありがとう。

 

 

 

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