食べることが、絶対に易しくあってほしい

 

食べることは、そのなかにまつわる全部の面倒なことをたとえ全部全部、差し引いたとしても、それでも”楽”なことだった。

それでも小さく鈍く光る古い宝石みたいに、それはそこらじゅうに散らばっていて、小さな頃から食べるのが苦手な自分にとっても、それは、命を営む上でわたしたちに与えられた数少ない幸運なアクティビティだと思う。

癒しもそうあって欲しい。絶対に最後裏切らない何か確かな、生きるための希望のようなもの。辛いものじゃなくて、食べることが、生きとしいけるすべてのものにとって、易しいことであってほしいと思うのとおなじように。

 

食べることを粗末にできるほど、私は食べる能力に長けてはいなかった。それがとても低いからこそ、必死で、砂金を時間をかけて一粒一粒拾うみたいにして、なんとか上手に食べられる方法を探さねばいけなかった。

それでも、その旅は、やっぱり私にとって苦しみよりも喜びの方がいつも最後には勝っていて、たった一粒しか拾えないこそ、大切さはずっと変わらなかったのだと思う。

 

わたしたちが癒されていくときに

億劫で、苦しくて、悲しいことと対峙しないといけない感じがすると思う。

わたしもずっと、そうだった、そう信じてたし、そういうときもきっとあると思う。

 

でも、多分本当はそうじゃないんだと思う。それが怖いことじゃないってことがどうしたら伝わるだろうと考えてる。

 

 

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