サービスの名前を、The gift にしたのはいつだったか。
今日も、発達障害についてのいろいろな世間の認識を目にして、
ああ、それは誤解だ、ああ、そうじゃないのに、と
たくさんの、癒しの伸び代を目にした。
わたしたちが、わたしたちであることは、特別なことでもなければ、ネガティブなことでもない。
ひとと違うことは、たしかに誰にとっても当たり前だが、それは特別なことでもなければ、ネガティブなことでもない。
ただそれを、本当に知り、自分を正当化するために世界を否定したり、境界線を声高らかにうたったりすることなく
世界と自分がひとつになってゆくこと
怒りや悲しみを、えばったり開き直ったりすることなく
ただ、癒しを選択すること
わたしたちにできることは、無限にある。
ぜったいに無理だと信じていたことが、ひっくりかえることなど無限にある。
それぞれのみんなの中にある天から与えられたギフトは、えばったり、特別視したり、卑屈になったり、怒っているうちは
ぜったいに開くことができない。
それを、自由にしたいとこころから思う。
ほんとうにわたしたちがわたしたち自身を受け入れ、愛しているとき
世界への嫌な気持ちなど、きっとでてこないし
わたしはこうなのよ!と言う気持ちもきっと、でてこない
それが、愛だから。
黙ってそこに必ずあるもので、無理にこじあけなくてもいいものこそが
愛であり、ギフトだから。
さいしょは、漠然としすぎているだろうかと思った
名前だけど
The gift にしてよかったと今おもう。
みんなが、おそるおそるその宝箱を開けて
中身を受け取って、それを使っていくプロセスは
ただ尊いから
発達障害は、ただのギフトで、誰にとってもそれは名前が違うだけで与えられているもの
そのままで、生きて大丈夫なんだとわかること
世界はきっと、もっと幸せになる。
この世界はきっと、もっと調和に満ちた場所になってゆく
そこに、向かう。
ひたむきに生きよう。