ナイト

 

 

My boy 、という 息子がテーマの香りを作ってから

ほんとうにほんとうに、いろんなことがあったなあとおもう。

 

この夏から秋に、サイト移行にあわせて My boy をアップデートしようと思ってから信じられないくらいのいろんなことが起こってる感じがする。

今は、わたしは本当にこの「ナイト」テーマでたくさんの学びをくぐりぬけているところ。

 

 

Knight – ナイト”守ってあげるよ”

誰かを愛し、誰かに愛され、それはとてもシンプルなことだ。

たとえばわたしは、自分の息子は全力で愛することができる存在として来てもらったし、彼は彼でわたしのことを全力で愛することができる存在としてそこにいて

それは揺らぐことはない。

 

 

でも、愛し、愛されるというのはあるいみ、机上の空論と嫌ないいかたをしてもいいくらい、ファンタジーで済む簡単なこともある。

わたしたちの学びの醍醐味は、「実際に関わる」というところにあると思う。

 

愛してるよ、わたしも愛してるよ。は簡単。

 

そこから、性別や、年齢や、日々の営みや、生や、肉体や、いろいろな「目に見える」ものを交えてそしてリアルな関わりと交わりのなかで生きていくこと。

そこに、たくさんの学びがあり、たくさんの愛おしい経験があり、もちろん死ぬほどの苦しみもある。

 

息子とわたしとの関係は、外からみたら単なる仲良し親子みたいなのかよくわからないけど、本当に6年間ガチンコでぶつかりガチンコで関わってきた、まぎれもない削れ磨かなければ生まれない、結晶みたいなものだと思う。

 

いまもなお、受け入れ、受け入れ、受け入れても怖いことがいっぱいの中で

「心はどう?帰ってきた?」

 

ときに留守になる心にノックをして、ふたり手を繋ぐ。

 

「守ってあげるよ」は、おとこのひとや息子に、そう言われたいという理想じみたキャッチフレーズじゃない。

それは正真正銘何かを貫くときめたもの同士の、甘くもなんともない、約束と責任のコミットメントだと思う。

 

母は、自分のいのちなんてどうでもいいと言わんばかりに「守ってあげるよ」とおもう

そんな母を、彼らは、自分のいのちなんてどうでもいいと言わんばかりに「守ってあげるよ」とおもう

 

そして、それが、できなくて苦しんだり、ときどきできたり、

必死で手を繋ぎ、ふたりひとつに崖っぷちを歩くみたいに。

 

わたしはずっと、彼にまもってもらうばかりで自分が守ってあげるよなんて、とても思えるほど成熟していなければ、弱くて甘えてばかりだった。ときに愛を思い出し奮起したところで、その関係はあんまり変わらず、生後まもない小さな赤ん坊を抱っこしていた私は、よく「まいちゃんが抱っこされてるみたい」と言われたものだった。

 

だれかを愛することや、誰かに愛されることは、

すばらしくて、そしてときに胸がはち切れそうになるくらい、苦しいけど、

それはただ、諦めずにくぐりぬけなければいけないものだとおもう。

 

ナイト、チェックしてみてね
新しくなって、ぐっと奥行きが増し、次元が上がり、そして大人びた少年の香りです。

息子さんをもつお母さんのための香りじゃないです。
男の人を愛し、男の人に愛されることを経験していきたかったら、マストアイテム。

 

 

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