自分がもっていなくても。

セラピストMariaさんブログより。

ひととして生きること

すてきなので全文抜粋。

 

 

……………….

人間は、
言葉を使ってコミュニケーションするが

言葉を使わなくても、
コミュニケーションはできる。

適切な言葉を使えなくても、
「察する」
「思い遣る」
という能力が
人間には、ある。

もし
脳卒中
認知症

その能力が、
今までと違って
失われたとしても

誰かそばにいる、その能力が残っているひとが、
駆使すればいいと思う。

(家族だけじゃなく。
医療者、サポートチームが。)

クローバークローバークローバークローバークローバー

先日、貧困状態にあるシングル家庭を支援する団体が
批判されているのを見た。

「シングルになるのは自業自得だから、勝手に苦しめばいい」

そんなことを言っている人を見た。
可哀想な人だと思った。

◯◯のせい
誰かのせい
自分のせい

そんな考え方をしているうちは、
この世に生まれた使命の1ミリも果たしきれないと、
本当に思う。

人間は、不可抗力も含め
どのような経験を使ってこの世の学びを全うしようとするのかわからない。

人生の途中では、わからないままのことだってあると思う。

いよいよ最期となった時に、
気付くことだってあり得るんじゃないか。

何かが起こったのは、誰かのせい

だなんて、
とても傲慢な気さえする。

クローバークローバークローバークローバークローバー

子どもの頃から繊細で
(って語弊がある。そんないいもんじゃない。単なる限局的神経質)
生きづらく

いじめに遭うことも経験し、
離婚、
シングルマザー、
再婚も経験し

それでも

もっともっと、
自分のしていない経験をされているかたはたくさんいる。

辛さや悲しさを比較したりはしない。

ただ、
自分なんかよりもっと
辛さと向き合う方々もいるのだと
いつも、思う。

思い遣りって、
そんなに難しいことだろうか。

人から言われるものでもないし、
強制されてやるものでもない。

嫌ならやらなきゃいいのだし、
黙ってればいいだけだ。

自分に余裕がある時に、
ふと、たまたま、
手を差し伸べることがあったっていいじゃないか。

そしてまた、
余裕がないならしなくたっていいじゃないか。
そんな自分を責める必要も、
ないと思う。

クローバークローバークローバークローバークローバー

人間のコミュニケーションは、
言語的なものと、
非言語的なものがある。

どちらも使えるなら、
どちらも使う。

どちらかだけなら、
どちらかを。

自分ができないことは、
相手に託そう。

人の脳は
きっと、
とても賢くて、
優しい。

 

 


よく、スピリチュアルとかで「ワンネス」ということばを聞いたことがあるとおもうけど、これが、すべてはひとつ、というそういう意味。

わたしたちには、たくさん持っているものもあるし、でも足りないものもある。

でも究極、自分に足りなくても、誰か別の人が持っているからそれで成り立っているんだっていうことなんだよね。その愛に気づけたひとから、なにも、怖いことはないし、なにも失うものはないってわかるはずなんだよね。

 

「もうむりだ、もうだめだ、苦しすぎてどうしてもわからない、できない。」

そんな風におもう時って必ずだれしもあると思う。でもそういう時にいつも、どうか、自分が全てできると思わないで。

そんなことは最初からかみさまは求めてないし、必ず、それを解ける別の存在がいるんだってこと。

 

最悪自分のなかに愛が空っぽになってもだよ。

誰かが、今日も、誰かを愛してるから、それでいいし、

それは自分と関係ないとこに起こってるんじゃなくて、自分の中にも必ず流れてるんだってこと。

それって、すごいことだよ。

 

 

 

 

 

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