喪中・記録

 

 

3-1-17

 

1年で最も長い24時間だった。2月28日。

 

 

ささやかな夢とか、ささやかな望みとか、
ただ、好きな人に会うことが
ただ、1年に一度のわたしが生まれたその日に、
おめでとうと言ってもらうことが 大それたことじゃなくて

たった1枚の写真を送ってもらうことが 叶わない理由がわからなくて
ただわからなくて

しらみ潰しのように全ての脇の苦しみと

傷を舐めるようにして味わい尽くす度に

わたしはもっとシンプルに、

そして傷だらけになっていくようだった。

 

 

 

 

 

切り裂かれて二つの身が、前に出た時

これまでの自分と共に彼をおいていかなければいけない感覚に陥って、
叫び声は上がった。

 

わたしは、彼と別れたかったわけじゃない。

 

 

 

 

 

3-2-17

”傷だらけの身体を、引きずるようにしてゆっくりと動かす。

もしもその痛みが凄烈すぎて動けないのであれば、
じっと止まってそのまま踞り(うずくまり)

癒えるのを待ちなさい。”

 

 

 

目がさめるや否や、女神は言う。

わたしはそれで、はじめて自分が全身傷だらけであることに気づく。

 

 

いつものように、時を遡るようにして空白の期間を埋めていく。

おとといと昨日、辛辣な痛みの峠を越えて、いまはだいぶ落ち着いている。

 

 

 

3-3-17

 

「まいさん、その後どうですか」とスタッフから連絡があった。

 

内に籠り切っているときに、
誰かが優しくノックしてくれることは唯一の救いだ。

 

わたしは自分が何をどこで間違えたのか、よくわかっていなくて、

「死んだフリをしています」と答えた。

 

 

「死んでると見せかけたいんです。復讐ですね。」とわたしは言って、

 

 

ああ、わたしはまだ怒っていて、

たくさんのことを赦せていなくて、
そして死んだフリをしたいんだなとわかった。

 

 

 

ブログを何日も書かないことにもあまり意味はなかった。

これまで、書かぬ日があったとしても1日程度であったが、

 

必死で書き続けてきたけれど、それで得たものもあるし、

そうでないものもある気がした。

 

 

わたしは後ろで綴り続けていることに、違いはなくて、

いろんなことを試してみたかった。

発信を辞めることもそのうちのひとつだ。

 
1月末から

立て続けに失ったものは大きかった。

今のわたしには、

何も、何一つ残っていないように感じる。

 

 

 

 

誰かに何かを言う資格もだし、発信する資格もないように。

 

だからと言って自分が憎く、自己嫌悪に陥り、

自分を責めたりしている感覚はなかった。

 

 

ただ、世界を眺めて、思い出そうとしている。

 

 

何がしたかったのかを。今は思い出せなかった。

 

 

何のために歩んでいたのかも、

ただ、何もかも。

 

 

 

 

 

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