前払いの違反切符②

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前払いの違反切符 続き

 

 

 

 

警察のひとたちは、ただ目的地を希望しただけの若い女性に

何かを詳しく尋ねることもせず、

「ちょっと待ってね」と了諾した。

 

 
一台の動かなくなったパトカーを助けに来たようだった彼らは、
ちょうどわたしが数時間前にガリバー旅行記の巨人になったときと同じように、3人がかりでパトカーを押していた。

ものすごく、楽しそうであった。

 

 

わたしはその風景を見て、またもパニックになった。

なにが自分をそうさせるのかはわからなかったが、とにかく怖かった。

何が起こっているのかわからないから混乱しているだけなのか、
人間よりももっともっと重たい金属の塊を、なぜか人が押しているという風景に混乱しているのか、まったく出どころ不明の激しい恐怖を覚えた。

 

 

警察のひとたちは、とても生き生きしているのが見て取れた。

ちょうど事件が起こって活躍できるヒーローさながらに、
緊急事態を楽しんでいる様子であった。

その感じは、自分には関係ない世界であったが
なんとなく理解ができた。

 

台風のときにワクワクする子供のように、はたまた退屈な日々の間の防災訓練のように、日常のなかにときどきやってくる”非”日常が活力を与えることはある。

 

でもその時のわたしにとってはそれは恐怖であった。

わたしは祝日と夏が嫌いで、いつも、平日と冬をこよなく愛していた。

 

 

 

重い金属の塊がのぞり前に乗り上がって、わたしはもう一台のパトカーに案内された。

 

黙って静かにその車に乗り込み、引き続きたくさんののものを飲み込みながら、
わたしはたった2日前にパトカーの後ろの席に乗ったことを思い出していた。

 

 

そして、なぜわたしがそのときに警察に捕まり、
6千円を払うことを命じられたのかがそのときやっとわかって愕然とした。

全ては天に、用意されていたのだ。

 

「明後日パトカーにお世話になるから、前払いね」

 

 

パトカーのなかは、暖かく、警察のふたりが前で、
無線で連絡をとりながらどこかで困っているひとの話をしているのを聴くことは、わたしをとても安全な気持ちにさせた。
それはリアルな映画や小説の中の世界よりも、もうすこしサザエさん的な漫画の中に迷い込んだ感覚がした。

 

 

 

ほっと身体が緩んで、また涙が出てきて、

わたしはじっと俯いたまま、彼らが慣れたそぶりで裏道を
運転するのに目を閉じて、身を任せた。

 

 

わたしはボロボロであった。

最終日に大阪を出た日は、仕事もなかったのでカジュアルな格好をしていて、大した化粧もしていなかった。

それでも、ひとは、親切だった。

 

 

 

今までの長い夜は一体なんだったんだろうとおもうほどあっけなく、
あっという間に彦根城について、

お城の目の前のホテルのエントランスに到着した。

 

そこは、温かい照明が灯された美しい建物であった。

 

 

通常星のたくさんついたホテルには入り口に案内をしてくれる
ポーターが立っているが、

ほとんど夜が明けそうなころ、そのささやかなエントランスには誰もおらず、

その場所はただただ静けさに満ちていた。

 

 

わたしが乗っていたのはタクシーではなくパトカーであったが、
警察のひとがわたしが自分で動くよりもっと先に、

車の扉を開けてくれて、
そして颯爽とホテルの中に入っていって、何が起こっているのかよくわからなかった。

 

 

 

わたしはまたも混乱したまま、こういう場合警察に免許証は提示するのかとか、名前を聞かれるのかとかを、

すでに電池が完全に切れている頭で一瞬のうちに想った。

 

そのまま

ゆっくりと外に出て、フラフラとホテルの大きな自動ドアがひらくのを確認して足を踏み入れる。

 

 

警察の人はそのままわたしがホテルに入ろうとするのと入れ替わりに、
外に出てきて

そして「ありがとうございました」と声にならぬ声で頭をさげる私へ、
もっと深々と、

ただ静かに頭を下げて、黙って車に乗り込んだ。

 

 

 

それは、今まで泊まったホテルの一流のサービスのもとに
提供される丁寧ホスピタリティや、

その他のどんな時よりも、

わたしを「大事にされている」感覚にさせた。

 

 

 

 

 

わたしは事情どころか名前すら、聞かれることもなく、

パトカーが出発するのをホテルの建物の中からガラス越し見送った。

 

 

そのままパトカーはすぐに次にどこかで困っているひとを
助けに行くため去っていった。

 

 

そしてほとんど夜が明けるかどうかという時間に、

わたしはホテルのフロントにチェックインをし、

「遅くチェックアウトしたい」という旨を申し出た。

 

 

 

その場所は、暖かかった。きれいで、ぬくもりがあって、

やさしく、長くて冷たい夜のあとに足を踏み入れると、
まるで天国に来たのかと錯覚するような暖かさであった。

 

 

たった1日にも満たない出来事なのに、もう何日も
経過しているような気がした。

 

 

 

わたしはすぐに眠ろうと思ったが、もうじき朝ごはんの時間がやってきそうだったので
そのままお風呂に浸かりにいって、ごはんを食べることにした。

 

一晩を雪の中さまよった疲れ果てた自分の鏡に映った浴衣姿は、

いつものバスローブ姿とは違い、悪くない気がした。

 

浴衣を着て、誰もいない大浴場の脱衣所でひとり

自分の姿を鏡越しに写真に収めて、SNSにあげた。

 

 

 

 

体が温まり、ほんのすこし正気に戻り

お風呂をでたところのスペースからは雪景色の彦根城が一望できて、とても綺麗だった。

 

お風呂から上がったときにそこに居た人に

「写真を撮ってください」と頼んで、わたしは笑った。

 

 

 

 

そのあとで、朝食の時間より数分前に食堂に着いたわたしは、

新装開店セールを待つような気分でスタッフに迎えられて

 

今までに食べた事がないほど美味しい白くて温かい味噌汁を飲んで、

 

ほんの少しだけご飯を食べて、
そして小さなダブルルームに戻り、

倒れるように眠った。

 

 

 

 

 

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