雪の浄化祭 Stuck⑤

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雪の浄化祭④ つづき

 

 

 

わたしはそのままその見知らぬ家族の家で休ませて欲しかったが、いろいろな事情があるらしく

何とかしてわたしをどこか安全な場所に避難させる話合いが行われた。

 

父は、これ以上迷惑をかけてはいけないからタクシーを呼んでどこかのホテルに行きなさいと言った。

ただでさえ、普段そういった手配が苦痛すぎてスタッフにわめき続けているのに、深夜消耗しきっている中で、どこかに電話をかけてタクシーを呼ぶこともホテルを探すことも予約をすることも

その時の自分にとって、拷問のようであった。

 

 

外国では比較的簡単に、見知らぬひとの家に泊まったり泊めてもらったりする。

自分もまた逆の立場だったら、緊急時に誰かを助け親切にすることは当然したであろう。

 

でもそれは、必死でタクシー会社に電話をかけまくることではなかった。
お風呂をいれて、暖かい布団を用意して、ご飯を食べさせる。

 

でもここは日本であった。

ひとは親切で、みんなが力になってくれるが、その方法は違った。

 

タクシーは結局つかまらず、当然田舎の豪雪地にその辺で走っているわけもなく、

でくのぼうで巨人のわたしは、そこにいる家族の雪用チェーンのついた車で、どこかまで送ってもらうしか方法はなかった。

 

 

大嫌いな電話をかけまくったが、
近くのホテルはどこも満室で、唯一車で20分以上かかる琵琶湖の脇のホテルだけが、一室だけ空いていた。
すでに深夜だったし、何もかもがどうでも良かったが、わたしは一応そのホテルを押さえた。

 

家族内では、そのホテルではなく、

とにかく近くて24時間やっていて、安全な場所にわたしを送り届ける話し合いが延々と行われていた。

 

 

 

わたしはとりあえずこの場所で休ませて欲しい旨をおそるおそる申し出たが、申し訳なさそうに、それはできないと言われた。
ホテルまでは遠くて無理なので、その手前の24時間やっている、インターネットカフェを提案してくれて、そこまで送ってもらうことになった。

 

 

これからどうするのか、どんな方法で行くのか、家族はずっと話し合っていて、

わたしは自分が他人に迷惑をかけているという自責の念を通り越して、感謝はおろか申し訳ないという気持ちすら湧いてはこなかった。

 

 

いろんな感覚が、麻痺していた。

 

 
家族が話し合いをしている間、時間ばかりがどんどん過ぎていって、最終的に自分の車を置いて、インターネットカフェまで送ってもらうことになった。

 

わたしと同じくらいの年のシングルファザーと、
そのお姉さんとお母さん。そして2人の小さな娘がいて、

下の子はちょうど自分の息子と同じ月齢であった。

 
お姉さんが下の娘を深夜に抱っこし、お母さんが運転する。
わたしは、自分が自分の父や母に甘えっぱなしで、息子を預けて、

ひたすら迷惑をかけつづけながら生きていることを嫌という程思い知らされた。
そしてその夜、変な親近感とともに、

見知らぬひとにまで、同じことをしていた。

 

 

深夜に車に乗せてもらい、通常の道では20分で行けるはずの場所は、いつまでたってもたどり着く気配がしなかった。

道は、高速道路と同じように遥か彼方まで渋滞しておりまったく動かなかった。

車のなかは小さい音で流れるラジオと、じりじり進む車のハンドルを握るお母さんと、お姉さんが時々話す声、そしてもっと時々小さな女の子が眠りながら立てる音だけであった。

 

 

 

 

わたしはあまりに疲れていて、その中でほっと安心する間もなく度々意識を失った。

見知らぬ人が夜遅く、声をかけてきて、その後も何時間も朝方まで家族ぐるみでお世話しなくてはいけなかったなどと、そのとき彼らは微塵も想像していなかったにちがいない。

 

 

わたしはそのときも、申し訳ないとかありがたいという感覚を通り越した状態で車に乗っていた。

 

 

何が何だかよくわからない時間は続いた。

 

 

”深夜 雪の中 自然の厳しさと偉大さに
ひとの親切と優しさと温もりに
自分にの卑しさに下賤さに浅ましさに
ひれ伏して、泣く
何を偉そうに
小生意気にすまして
「お前に愛を語る資格などない」と言われているように
I know.”

深夜・雪より

 

 

 

自分の車を置いてきたわたしは、薄着のジーンズに、小さなハンドバッグひとつでいた。その中には携帯と財布とカードとリップが入っていた。

ときどき思い出したように携帯で、感じることを書き留めた。

 

 

誰かと繋がっていたかったわけではないように思う。目の前にいた、親切にしてくれていた人々や世界と分断されたまま
わたしはくっきりと自分がひとりであることを感じていた。

 

わたしが唯一世界と繋がれる場所は、その瞬間「発信」するというそこだけのような気がした。

 

息のできない海のそこから細く海面に伸びたシュノーケルのように、それだけがわたしを生かしていた。

 

そこにはある程度の依存があり、心のよりどころでもあり、自分が生きているたったひとつの最後の小さな意味であった。

 

 

長らく、「孤独」はテーマで、誰かを信じるということについてもだし、わたしは何のために書くのかということもそうだし、

人との関わりや恋愛、セラピストとしての活動全ての側面を一度濯い出す必要があった。

 

 

そのまま車のなかで、わたしは消えゆく寸前で、

孤独はそして、ありありと自分のことが見えるとそう思った。

 

 

わたしはだから、こんなにも何もないのかもしれないと思いながら

 

 

 

その最後の細い、切れてしまいそうなライフラインを握りしめた。

 

 

それはイコール、わたしにとっては「書く」ことであった。

 

 

 

 

 

 

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