セラピストを辞めることにした。①

1月後半に突如絶望に落ち込んで這い上がれなくなったわたしは、

 

右も左もわけがわからない混乱ののち、

まず、潔くセラピストを辞めることにした。

 

 

 

そういえばいままでセラピストを辞めようと思った事は、どれ程苦しくても何があっても、一度もなかったようにおもう。
でもいまからおもえば、それは
辞めるとか辞めないとかいう次元でないほど私は当たり前に「セラピスト」であったからであって、

もともと特にその肩書きにしがみついていたわけではなかった。

 

むしろこの節目に、それを脱ぐことが自分にとってとても自然なことだと感じた。
人を癒すという目的のもと、自分がおこなう事に
もっとも近い肩書きを当てはめているだけで、実際は何だってよいし、

これからも声を発していくことで、人に何かしらのインスピレーションを与えていくことに変わりはない。

 

 

 

 

具体的にやることが変わったところで、

コンセプトである”愛”を流していくことの中心はそのままそこにある。

 

 

じゃあだからといって、さらりと

”今日からセラピスト辞めます”と簡単に言えるのかといえば、

まあぶっちゃけ言えることは言えるのだが、

大きな誤解を招きかねないので注意せねばならない。
現実世界は思っているより複雑みたいであった。

 

 

 

 

自分のなかではもちろん責任放棄したつもりもなければ、
最後まで見守るつもりの気持ちに変わりはなかったが、一部のクライアントさんに

「見棄てられた」と感じさせてしまったことに、

 

わたしはとてつもない責任を感じていた。

 

 

 

 

極限にまで気力を失っていた空白の時間。

自分のなかで何が起こっているのかもわからないのに、
説明を求められても一言も言葉にできなかったが、

 

たくさんのことを考えさせられる数週間であった。

 

 

 

「セラピストを辞める」という文句は

自分にとってはあまり意味はないのだが、自分にとってあまり意味がなくとも、

クライアントさん的には大問題であるようだった。

 

 

真っ暗闇でもがきながら前に進むときの、唯一の灯りであったセラピストの存在が消えてしまったら、

永遠に暗闇に放り込まれてしまったと絶望しても無理はない。

 

 

もちろん最初からそんなことをさせるつもりはないが、

まだ依存とコントロールが入ってしまう段階では
理解するのに時間を要する部分もある。
神がかった美味さのマフィン屋が、そのうち廃業しても

マフィンを焼くための知識も職人技も変わらずに持ち続けるように、

わたしがセラピストを廃業したとしても、

変わらずに真っ暗闇の唯一の灯りになることはできるのである。

 

 

ここからは、わたしのたった2年にわたるセラピストとしての毎日を
一旦一区切りつけて、振り返りまとめて、

綺麗に結び目を閉じて、そして卒業する時期に当てようと思う。

 

 

 

 

 

「あれだけ情熱を注いでいたセラピスト育成はどこへいったんですか?」

「そんな無責任だったのでしょうか」と

ガッカリ感の半端ない失望の声もその時お寄せいただいた。

 

 

 

それは弱っていたときに自分のなかにかなり響き、

幸か不幸か、まっすぐに「セラピストを辞めよう」という方向に繋がった。

 

 

 

最初は実は、しっかり休んでパワーアップして復活でもするつもりでいたが、

 

 

いくつもの手放しを続けたときに

Facebookを辞めるとか、不毛な恋愛関係への執着を断ち切るとか、

ひとつ、ひとつ吹っ切れてきた先には

 

一ミリも迷いなく「セラピスト」を脱ぐ選択肢もまた、含まれていた。

 

 

 

先ほども書いたが、セラピストを辞めるからといって

人が進化していくことに対しての私の愛は何も変わっていない。

 

 

表面的な活動だけ見れば、その「やる気」のような炎は

とても小さく燃え尽きたように見えるのかもしれないが、
何というかその種火はずっと健在であり、

上に乗っていたのが真っ赤なルクルーゼのオバールから、
漆黒のストウブに変わるのをただ待っているだけの話なのだ。
ルクルーゼ派だった方には実に申し訳ないが、ストウブでも美味しいスープは作れる。

 

 

見送るための感傷を洗い流すのに

種火のわたしの数週間は

本当に苦しいものであった。

 

 

 

 

 

 

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