Farewell -second-

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2016年2月19日分再投稿

 

ある夜、

わたしは自分の身体の異変に気づいた。

 

 

恋人が、ベッドに入ってきて

わたしを抱き寄せて、

いつものようにパジャマの下に
手を滑らせて背中に触れたその時、

 

 

 

わたしは、硬直している自分の身体が

「感じる」ことをやめてしまったことに

 

呆然とした。

 

 

 

 

それは、精神的に追い詰められていた出来事の

しばらく後のことだった。

 

 

 


 

 

 

あるとき私は、

親しくしていて自分が大好きだった目上のひとを、

 

怒らせてしまった。

 

 

 

 

最初は、すれ違いと誤解で

そうなっていることはすぐわかったし、

もちろん自分のなかに相手を傷つけようなどという気持ちは

0.1ミリもなかったが、

 

その後

事はすぐに収まるどころか、
彼女の怒りはエスカレートしているように思えた。

 

 

 

誠心誠意を込めて送ったわたしの感謝の挨拶は、
すぐに真っ向から否定されたような返信があり

 

残念だったし
いろいろな気持ちが交錯したが、

 

 

自分はそれでも自分の選択や決断に迷いがなかったので

 

それ以上わたしから何か言う事は

やめた。

 

 

 

 

自分が

「そのままを、ありのままを
自分のことばで表現していくこと」は、

 

毎回「恐れ」との対峙だ。

 

 

 

前に書いたとおり、わたしは過去に、

それでなんども、「書く」ことを諦めている。

 

 

でもそれを続けた結果、

わたしは自分からどんどん遠ざかっていくことに、

ずっと気づいていた。

 

 

そこから長い時間がたって、

 

いつか、自分に忠誠を立てた。

 

 

 

 

「人が自分のことを何といおうと、
わたしは、自分の感じていることを淡々と記すことを

諦めない」

 

と。

 

 

 

でもそれは、

そこに、

 

「人を傷つけてまでも」は

 

もちろん、

 

含まれて、いない。

 

 

 

 

 

 

だから、そんなつもりがなかったのに、

結果的に相手を傷つけてしまったことは

自分の考えうる想定も範囲も超えた、

 

わたしには全くどう手をつけていいかわからない

出来事だった。

 

 

 

 

わたしのフォロワーの方は、

というか、もしかすると、本人を除く全てのひとは
読んでいたらわかると思うが、

 

わたしは、彼女のことが、

 

大好きだった。

 

 

尊敬していて、感謝していて、
そして、

 

信頼していたのだ。

 

 

 

少なくとも、後になってみた今では、

自分が彼女について
すこしばかり勘定違いをしたことは明白だが、

 

 

 

自分の思ったことを名前を出しそのまま書く事は、

わたしにとってはある意味

「責めたり批判したり名誉を傷つける」こととは

 

対極に位置していた。

 

 

 

後ろめたさも、相手を否定する気持ちも

一切ないからこそ、

むしろそこに自分の「敬意」があるからこそ、

 

 

ありのままを綴ることができる。

 

そして、これも昔に書いたかもしれないが、

一字一句自分の感じていることを

文字に起こしていくことは、
時間もエネルギーのかかることだ。

 

自分にとって取るに足らない相手のことに
無駄な時間は1秒も使いたくない。

 

 

わたしが書けなくなり、
そして今も迷いながらタイプを始めた理由は

そこにある。

 

 

そして、今この瞬間に関しては、
相手のためではなく、

やはり自分のこころの整理として、

そして、必ず自分が発信することに

何らかの意味があると

 

そう信じて、
ようやく、投稿する。

 

 

 


 

私にとっての敬意は、

相手にとっては、違った。

 

許せないポイントはいろいろあるみたいだったが、

私が事実を捻じ曲げてでっち上げたとか、
実名を出すとか名誉損害とか、

 

いろいろだ。

 

 

 

 

そこに関しては、わたしにとっては
どこがどうかは重要ではなく、

 

 

「好きな人に嫌われてしまった」

 

ということだけが、

 

 

私を苦しめた。

 

 

 

 

 

自分が悪いことをしたという意識は、

最初から最後までわかなかったし、

 

彼女を責める気持ちも、

最初から最後まで、わかなかった。

 

 

 

そして、自分がどうたち振るまえばいいのかが

わからなくなり、

 

 

わたしは書けなくなった。

 

 

 

 


 

 

 

恋人に、私は震えながら言った。

 

 

「感じない。」

 

 

 

 

 


 

その少し前、

 

わたしの元には彼女から直接、

怒りに満ちた感情的なメッセージが連続して

届いていた。

 

 

わたしは一通目はしっかり目を通したが、

 

そこからずっと、周りでいろいろなことを言われているのに
身体中から怯えきってしまい、

自分では気づかないほど

自分自身を追い詰めていた。

 

 

かなり情緒不安定の数日間を過ごし、

神経過敏になった状態を

 

恋人はそばで、

しっかり見守ってくれていた。

 

 

 

タイトル部分で、
明らかに悪意を感じる内容のメッセージが届いたとき

 

 

わたしはもうそれを読んだ瞬間に
自分が潰れてしまうと思い、

泣きじゃくりながら

 

 

 

「なんて書いてあるか読んで。お願い。

読みたくないから、何がかいてあるか読んで、教えて。

お願い・・・」

 

 

と恋人に頼んだ。

 

 

 

彼が、一字一句そのメッセージを読むのではなく、

必要だと思ったことを、

 

 

ベッドの中で泣いている私に、

伝えた。

 

 

 

 

「もう二度と、マイとは関わりたくないって。」

 

 

 

 

わたしは、そこに何が書かれているのか

最後まで知らないままでいたかった。

 

 

 

ほとんど意識が朦朧とする毎日を過ごしながら、

その時も

 

 

「お願い、そのメール、消して・・・・・」

 

 

と、彼に頼んだ。

 

 

 

SNSもパソコンもほとんど使わない恋人は、

 

「おれ、Facebookの使い方知らないし、わかんないよ」

 

 

と言った。

 

 

 

 

わたしは、

 

「お願い、消して・・・・」と

ベッドの中に縮こまりながら、

 

なんども、頼んだ。

 

 

 

 

 

 

しばらくしてから
フェイスブックを開くと、

 

彼女からのメッセージは跡形もなく、消えていた。

 

 

彼は、携帯でフェイスブックのメッセージの
消去の仕方を一生懸命調べて、

 

わたしの言うとおりにしてくれたのだ。

 

 

 

 


 

 

 

わたしは、自分のしたことに、

後悔はなにもなかった。

 

 

それでも、

想像以上に精神的にダメージを受けているのは
明らかだった。

必要以上に自分で自分を責めているのは、

明らかだった。

 

 

 

そんなときだ。

 

 

 

肌に触れられて、気持ちよくなかったことが

いままであったろうか。

 

 

どれほど疲れていても、
どれほど悲しくても、

どれほど怒っていても、

 

 

彼がわたしに触れてくれることは、

わたしを心地よい感覚で

癒してくれた。

 

 

それ以上に気持ちのいいことは、

なかった。

 

 

 

わたしは、

 

何がおこったのかわからなかった。

 

 

 

彼に、

 

 

「感じない。」

 

「どうしよう」

 

 

 

と言うと、

 

彼は、わたしがその前後

(生まれ変わった)という表現を使ったことで

 

 

「新しくなったマイには、もう俺は必要ないってこと?」

 

と、聞いた。

 

 

 

わたしには、何が起こったのかわからなかった。

 

 

昨日まで、目の前で愛おしかったひとに

体に触れられて目一杯「感じて」いたものが、

 

 

すっぽり消えてなくなったのだ。

 

 

 

 

「わからない。」

 

 

「どうしよう。」

 

 

と私は、言った。

 

 

 

 

彼は、

「触らない方がいい?」

 

 

と私に聞いた。

 

 

 

わたしは、

 

 

 

「わからない」

の一点張りで、

 

 

そこから恐怖に突き落とされた。

 

 

 

いかなる理由であれ、

彼のことがもう必要なくなったのであれ、

不感症になったのであれ、

疲れすぎて身体が麻痺したのであれ、

 

 

「感じる」を失ったわたしは

右も左も行く道が閉ざされ真っ暗闇に
放りこまれた気持ちがした。

 

 

 

いつものように、

わたしの身体を抱き寄せて

肌を合わせることを

 

止めて

 

しずかに手を離す恋人に

 

 

わたしは

 

 

 

「やめないで・・・・お願い・・・」

 

と頼んだ。

 

 

 

 

その頃、

自分がどうやって生きながらえていたのか、

よく覚えていない。

 

 

 

 

 

 


2016年2月19日分投稿

 

 

追記

 

”他人を怒らせる”っていうところのテーマは

まだ繰り返し鈍く響く感じがするなあ。手放す恐れ?

 

誰かを怒らせるのが怖い、誰かに嫌われるのが怖いっていうのがあるかな?

 

もうすこし見つめてみよう。

今テーマの「信じる」にもどこか関わっているかもしれない。

 

 

”自分のために書く”

”読んでいる人がいる”

 

”表現する”

”そのままの自分でいる”

 

 

 

 

 

1 Comment

  • w Posted 02/19/2016 00:30

    私はマイさんを去年の秋頃から知りました。
    それからずっとマイさんのそのままの自分を信じて生きる姿を見て、私もそうありたいと勇気をもらいました。
    そう裏ではマイさんはとても大変だった事でしょう。それでも自分のまま進もうとしてるマイさんが大好きです。

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