10年越しの

 

写真が好きなのと、写真を撮るのが好きなのは違う。

さらに言えば、自分で撮った写真が好きかどうかも、
写真を撮るのが好きなこととは無関係である。

 

 

わたしは、書くのが好きであった。

ひたすら書くことが、苦しいか苦しくないかは別として、好きであったと思う。

でも自分が書いたものを読むことは嫌いだった。

中には好きなものもあったが、総合的にはとにかく嫌いであった。

 

読み返すことをしなくてもいいように、
読み返す時間を自分に与えないために

書いていたようなものである。

 

 

 

 

 

 

わたしは写真を撮るのが好きである。

なぜかというと、自分が切り取る世界が、自分の撮った写真が

そこそこ眺めていて気持ちがいいからで、「好き」だからである。

 

わたしは自分の撮った写真も好きだったし、
そのため、写真を撮ることも好きであった。

 

 

 

今回の「書く」ことが喜びに変わった流れで

わたしは、「自分の書いたもの」が好きになった。

 

こうして書くと滑稽だが、それは

「産む」のが好きで産み出し続けるが
生産物自体を忌み嫌っていた今までからすると、革命的である。

 

 

 

わたしは2度と、振り返ることをしなかった。
足跡をつけてきた道を、絶対に振り返ることをせずに
前だけを見て歩いていた。

 

 

そして今、後ろを振り返ると

その足跡はなんとも言えない美しさを描いていて

ずっと向こうの地平線まで戻りたくなるくらい美しくて

 

嬉しくて泣ける。

 

 

不安になって、怖くなって、
なにか間違えてるんじゃないかと思って、

ここ数日何度も「読み返しながら」書くということを

初めて試みたものを

 

もう一度、恐る恐る、読んでみる。

 

 

それは私を幸せにした。

 

役に立たなくて、くだらなくて、どうでもよくて、

そしてそれがわたしという人間の全てだった。

 

 

「書く」ことは、わたしの大切な武器であった。

自分の世界を表現してそして、

世界に自分を伝えていくための

一番柱となるくらい大事な、ツールであった。

 

 

わたしは長年喧嘩しながら連れ添ってきた「書く」と、
ついに和解した。

 

 

そう、喧嘩のたびに別れて別居してはくっついて、
ずるずる10年経って馴れすぎた恋人同士が

奇妙なタイミングで結婚を決めたみたいに。

 

 

「今更だよね。何も変わらないよね」

 

こそばゆい。

 

 

 

 

 

 

 

 

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