美容院

 

 朝起きると、全裸になっていた。朝方目を覚ます直前に、やたら寒いけど首元だけはあったかく、「だらしなく過ごすことを決めたからマフラーをしたまま布団に入ったのだな」と我ながら感心した。身体を引きずって起こすと、マフラーの正体は風呂に入ったあとも毎日ずっと着ている、先日買ったばかりのはずなのに何故かすでに毛玉でいっぱいの、ライラック色のセーターであった。冬で寒いから、肩だけは冷えないように工夫されていたらしい。そういう日に限って部屋のヒーターはオフだったので、まずは布団から出たらいきなり裸という過酷な朝であった。

 先日風呂には入ったものの、その後また数日が過ぎ頭がかゆい。これは意を決して風呂に入らなければいけない。しかしどうもめんどくさい。風呂というアクティビティの中でも、まずは服を脱ぐという行為のハードルを越えて、湯に浸かるのはいいが頭を洗うのはいくつも動きが増える。それだけならまだしも、その後無事清潔になった後は化粧水やらオイルやらで保湿をするという難関が待ち受けている。しかも、がんばって脱いだのにまた服を着なければいけない。新しい下着を、寒い部屋のクロゼットを開けてとりにいかねばならない。髪の毛を乾かすなど、論外である。わたしは他に良策がないか考えた。よし、美容院に行こう。

 今まで2、3週に一度は喜んで通っていた美容院。どこまでも引きこもってだらしなく過ごしたいのは山々が、ボサボサの髪の毛は何気にテンションを下げる。自動的に髪の毛が短くなるシステムがあれば導入したいところだが、そうもいかない。そんなわたしがなにを楽しみに、カラーとカット一回で済むのをわざわざ分けて予約をとり、美容院に足を運んでいたのか。それは森さんのシャンプーと雑誌である。森さんというのは、その近所のミーハーな感じの美容院でアシスタントを務める方なのだが、とにかくシャンプーが上手なのである。メインのカットやカラーより、森さんが休みの日のほうが出直したくなる。

 わたしがそもそも森さんのシャンプーと雑誌を読む以外で美容院が嫌いな理由として、美容師という存在がある。美容師というのは、だいたいがお洒落に着飾っており、まずはそこが大いに気に入らない。そこの店長は男のくせにフランス人とのハーフのよう顔をしており、背が高く、シュッとしており、お洒落でこともあろうに親切である。なぜ、2月の曇りの日の室内で、つばの広い帽子を被る必要があるのだ。許せない。部屋の中では帽子を脱ぎなさいと小さい頃教わらなかったのだろうか。見渡す限りサングラスをかけている人間がいなくてホッとした。   

 わたしが好きなのは、堅実さでありお洒落ではない。カットを担当してくれている女性は、お洒落だがチャラチャラしていないところに非常に安心感を覚える。同じ美容院で、その帽子店長を含む5人以上に切ってもらったが、彼女が唯一わたしの髪の毛における希望を叶えてくれた。放っておいてもいい感じに仕上げてくれるので、ハラハラしながら切る様子を監視しなくとも雑誌購読に集中できるというわけだ。

 ところで問題はカラーリストのイケメンである。わたしはお洒落な人間と同じくらいイケメンが嫌いである。おそらくわたしより10近くは若そうな彼は、カラーの腕に間違いはなく、帽子を被っておらず、いやらしいほど爽やかであった。帽子男よりも更に背が高く、モデルのような体型に、ジャニーズのような顔立ちと誠実そうな黒髪。「僕、職業は(横文字)カラーリストです。」ため息しか出ない。

 わたしの月に一度の楽しみである雑誌購読を始めると、その男なにを思ったか「インフルエンザとかかかってないですか?」と訊いてくるではないか。うっかり「話しかけないでください」とも言えず、「大丈夫です」と冷たくあしらう。モテる男の悪いくせだが、まっすぐな瞳で「良かったですね!僕先週かかっちゃって、大変でした」とか言ってくる。頼むから話しかけないでくれと思いながら、「昨年の今頃は2回もかかりました」と不覚にも答えてしまった。しかもA型とB型一回づつという余分な情報まで。

 うつむき黙って雑誌を読み耽るわたしに、ひるむことなく「バレンタインは何かしましたか?」と訊いている。は? 耳を疑った。「・・・いやあ、なにもしてないです」と遠慮がちに言うと、爽やかに「そうなんですね!ご家族とかにも?」と世話を焼いてくるので、いよいよ「色々、頂きました」とまたも必要の無い個人情報を漏らしてしまった。ただ、悔やまれる。

 更にじっと黙り狂い”美的”の化粧品のオススメのコンシーラーがどこのメーカーかまじまじ見つめる人間に向かって、「春はどこか行かれるんですか?」と屈託なく訊いてくる男。思わず「どうかご勘弁を」というフレーズが頭をよぎったが、「どこも行きません」とご丁寧に答えた辺りでわたしはくたびれきった。

 休暇中に心やすらぐ時間を過ごしたい、髪の毛を洗うのがめんどくさかったから車を運転してわざわざ此処まで来たというのに、なぜ知らぬイケメンにここまで気を使わねばいけないのか。

 爽やかなジャニーズボーイは、訊ねてもいないのに毎年いちご狩りに行くと行った。イキイキしていた。わたしが普通の女子だったらイチコロである。

 なんとか無事にカラーが終わりシャンプーに移るとき、ボーイは「今日森さんいますけど、ヘッドスパどうします?」と誘った。2、3秒森さんの顔を思い浮かべ、「ああ、じゃあお願いしようかな」と言った。「わかりました!久々ですもんね!」と嬉しそうに初夏の風を吹かせるイケメン。「ブリーズ」って名前のシャンプーかお前は、と最後まで落胆しつつ、『わたしは森さんのカタギなシャンプーのファンなだけで、間違ってもお前に誘われたから快諾したわけではない』と心の中で念押しした。

 根元が黒かったのも不揃いな髪の毛もさっぱりし、森さんに長時間みっちり頭をほぐしてもらいつつ清潔になった。なのにどこかすがすがしくないのはなんでなんだろう。

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