エスプレッッソ少なめで

 コーヒーを飲まなくなって、かなり経過する。飲まないと言っても、日常的にという意味であり、時々外食したときにはこれみよがしに注文する。できることならエスプレッソ少なめで。

 学生時代に一度、当時働いていたラジオ放送局の仕事帰りに仕事場のひとたちとデニーズに行って、わたしは初めてカフェオレ的なものを注文した。当時付き合っていた、胡散臭く勘違い業界人代表みたいな貧乏臭いおじさんに、恥ずかしくも振り回されていたころである。ウブでバカな若い女学生と薄汚れた中年の、わかりやすいくらい愛のない典型的不倫であった。それはさておきわたしは注文を取りに来たお姉さんに、「極限にまでコーヒーを少なく入れてください」と言った。運ばれて来たコーヒーは、白い牛乳に薄っすらコーヒー色のついたもので、わたしは満足した。そこにいた誰かが、笑いながら「それコーヒーじゃなくて牛乳じゃん!」と指差した。わたしは、若くてバカで純粋で、みんなから可愛がられていた。そしてそれは純粋な女子にとってはれっきとしたコーヒーであった。

 コメダにはミルクコーヒーというメニューがあり、これがまさにカフェラテとは一線を画する「コーヒー風味の牛乳」である。コメダにモーニングにいったら、コーンスープかミルクコーヒーを注文して、ミルクコーヒーのときは、あつく熱されたボテッと丸いカップに口をつける前に砂糖をいれてかき混ぜるのだ。りょうほうとも、コーヒーチケットで買える。その味は、わたしがいつかデニーズで頼んだコーヒーによく、似ていた。

 そのあとブラックでガバガバコーヒーを飲む時代や家でドリップするための機器を揃えた時代を経て、菜食になったころ、お酒もコーヒーも自分のからだには必要なくなった。ときどき気が向いてブラックコーヒーを一杯飲むだけで、胃がむかついて目眩がするようなくらいカフェインに弱くなり、「紅茶」はパートナー、「ハーブティー」は親しい友人たち、「コーヒー」は顔を思い出すのに時間がかかる遠い親戚の従兄弟のような存在になった。

 2日前、まだ1週間ぶりの風呂に入る前にふとスーパーに行ったとき、なぜか「コーヒー」を飲もうという気持ちがムクッと湧き上がった。いつもは素通りするコーヒーのコーナーで立ち止まる。店の淹れられたコーヒーではなく、自分で淹れるためのコーヒーを買うのは何年ぶりか思い出せないくらいであった。再デビューにはインスタントのじゃなくて、せっかくならば美味しそうなやつがいいなと思って、そこにあったドリップ式を見比べると20個で398円か、10個で398円のチョイスがあって、あたまのなかで398円を10で割る計算をした。

 お茶を買うときにそういえば、値段を見る習慣がないなあと気づいた。美味しいお茶は高価なので、一杯いくらか考えはじめると嗜好品とは言えない。店で一杯1000円以上するお茶を飲むことに全く躊躇がないわたしだが、閉店間際のナフコの398円の冒険に、むやみやたらと胸がときめいてドキドキが隠せなかった。

 家に戻って次の日早速ワクワクしながらコーヒーを淹れてみる。部屋中にコーヒーの懐かしい匂いがたちこもり、わたしの胸はさらに高鳴った。
そしてわたしはコーヒーを飲んでいた頃に書いた日記から、整理にかかった。

 やっぱり少々の、胸焼けがした。

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