学び合う – Suliss Hatch Project – ⑦

学び合う:      

 

 

 

 

 

 

スリスハッチプロジェクトの中には

わたしの全てが詰まっている。

 

 

 

技術的なことももちろんだし、

それ以外の根本的な人間としての成熟していく過程も

わたしがコツコツ人間を見つめてきて

気づいたこと全てと

 

 

 

そして

たくさんのセラピーやカウンセリングやヒーリングに触れて

そこで感じてきた全てを

 

役に立つことや、役に立たないことや

向き不向きも含めて

 

 

そのまま惜しみなく、伝えたい場所

 

 

それは最初、

一番弟子のために、スタートした。

 

 

 

 

 

 

 

「催眠療法をきちんと学んだ」松永まいに興味があるなら、

 

ヒプノセラピーの資格をとりにいけばいい。

 

 

 

わたしのセッション代を滞納して、

何十万もお金を使い込んで支払いが追いつかないという彼女が

 

何にお金を使ったのかわたしには見当もつかないが

 

国家資格でもなければ
大学を何年も出なければいけない資格とは違い

世のセラピーと呼べるセラピーは気軽に学べる。

 

 

 

 

それもしないまま、

 

 

 

「わたしには他になにかもっとふさわしい使命があるのではないか」

と思い延々と外に意識を向けるのだとしたら、

 

 

それこそ

わたしの出る幕はない。

 

 

 

 

 

スリスハッチプロジェクトは、松永まいのやり方を学び、

松永まいのようなセラピストになる場所ではないのだ。

 

 

 

 

 

 

最近嬉しいことに、

セラピスト志望ではない別の職業の方が

 

少しづつハッチに興味を持ってくださっている。

 

 

 

今までのクライアントさんには、

さまざまな職業の方がいた。

 

 

料理人も、普通の主婦の方も

ものづくりをしている方も、弁護士の方も

お医者さんの方もいたし、会社員の方もデザイナーの方も

公務員の方も、看護師をされている方もいた。

 

 

 

 

セラピストさんたちは、

それぞれ自分の”好き”とかけあわせて、身体を使ったアプローチのセラピーをされている方や

アロマセラピーとかフラワーエッセンスとか

その他のセラピーを学び、それを使いながらセラピストとしての経験を深めている方々など。

 

 

 

 

体育教師だろうが、アロマセラピストだろうが

看護師だろうが主婦だろうが

 

 

 

人間として、より成熟していくにあたって

ぶちあたる壁は無限にある。

 

 

まずは自分を解放することがある程度できた段階で

そこからどんな使命にとりかかるのかは

 

千差万別だが、

 

 

”自分”を癒したのち

 

ほとんどの方は

 

次に身近にいるひとに、手を差し伸べることをしたくなる。

 

 

 

 

 

 

 

 

スリスハッチプロジェクトは、

 

セラピスト向けコースだが、

 

その”本質”を感じ取った方が

職場の人間関係の中で教育に携わる上で

 

人の話に耳を傾けたり

人を導く立場として

 

何かできることはないかと

前を向いて追求するために受けてくださったり

 

 

 

 

例えばお医者さんだったら、病気を繰り返す患者さんの

より本質的な、心の部分にアプローチしていきたいと感じたり

 

 

 

例えばお店をやっていて

お客さんの話を聞くときに悩み相談みたいになって

それに応えてあげたいとか

 

 

 

そういう方のための場所でもある。

 

 

 

 

 

 

 

 

経験や、資格や、たくさんの知識が欲しいならば、

それは別のところで気がすむまでうんと、追求しながら学んでほしい。

 

 

そして、例えばアートセラピーを学んで

それで仕事をスタートしたが

 

あるタイミングで、壁にぶち当たったとき

誰かを許せなくて苦しくて、仕事がいきづまったり

 

自分がセラピストとして一歩、上に上がりたいが
なにかが足かせになっていると感じるとき

 

 

 

 

そのとき近くに、どこに、だれに、

手を引いてもらえばいいのかどうしてもわからなくなった時

 

 

そのときは

スリスハッチプロジェクトのことを思い出して欲しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わたしには、

 

本当に苦しかったときに

相談できて優しく聞いてくれるひとは山ほどいたが、

 

 

そこで確かな道筋を示してくれるひとは、いなかった。

 

 

 

 

 

すべての道をくまなく点検して、

傷だらけになって

 

そして2つか3つ、足場の良い道を自ら記録した。

 

 

 

 

 

過去の自分に対してそう思えば、

凝縮されたその近道を示してもらえることは

 

 

こんなに安全で信頼できることはないように感じている。

 

 

 

 

 

 

一番はじめに、

わたしの弟子になりたいと言ったそのひとは、

 

 

「許せない」ことを乗り越えていった先に何かを見出すか

 

それとも

 

「許せない」ことを「許し」

 

そして「許せないこと」から遠ざかることを選択するか

 

 

 

それは彼女の自由であり、タイミングもまた

その人にベストな時に、変化は起こることだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

スリスハッチプロジェクトが今後、内容や形式を変えて
進んでいくときも
わたしはきっと、ずっと

彼女がこのプロジェクトの第一人者なのだ

 

と思い続けるだろう。

 

 

 

 

わたしを”指導する人間”にしてくれた弟子

 

たくさんのコースや

必要とされている内容を作り込むのに

 

彼女からの質問や

彼女の学びは大きく影響している。

 

 

 

 

 

 

 

最後に

 

 

わたしは、基本的に

誰かの後始末をするということはしない。

 

 

クライアントさんに対して請け負ったことの責任は
もちろんきちんと果たすが、

 

その方の行く先に責任をとろうとは思っていない。

 

それは、その人が泉を通り過ぎてそこで恩恵を受けてくれて、

そのままその人自身の責任で、人生を切り開いていってくれればそれでいいからだ。

 

 

そもそも誰かの幸せの責任をとれるほど

わたしはたいそうな人間ではないし、

 

わたしたちは自分の幸せには自分で責任をとっていかねばいけない。

 

 

 

 

一番弟子が不愉快そうに、

 

「責任としてですね。。」と言ったとき

 

 

私は

「そりゃ悲しいさ」「責任もあるしね」とさらりと伝えたが

 

 

せっかくなので

その「責任」の意味を、ここに記しておこう。

 

 

 

 

わたしは、誰も彼もの尻拭いをするつもりはない。

 

 

でもその、たわけで甘ったれの一番弟子に限っては

 

こうなったら最後までセッション料金を踏み倒されてでも

尻拭いをしようというつもりでいた。

 

 

 

それはおそらく彼女には伝わってはいないが、

 

それが、彼女の持つ

 

「わがままで傍若無人が許される」

「なぜかみんなに特別扱いされる」

 

 

という特性である。

 

 

図々しく、

「まいさんこんなの(わたしのために)やってくださいよ」

と言えるものは、

そのまま欲しいものを手に入れてゆく。

 

 

 

 

 

 

まあ、特別扱いされていることも

わがままに振舞って誰もが許されるわけじゃないことも

 

 

本人にとっては当たり前すぎて

気づいていないと

 

思うけれど。

 

 

 

 

 

<完>

 

 

 

 

 

 

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