泥のように”毎日続けること”

 

12月1日に始めて

1日も欠かすことなくインスタグラムにアップし続けたコンセプトストーリ

 

 

 

1日一枚のストーリにつき、2枚写真を選んで

 

 

どれほど苦しい日も、声が出なくなった日も

熱がある日も

とてつもなく悲しい日も

死にたいくらい孤独な日も

 

這いつくばるようにしてパソコンの前に座り

ハードディスクを開いて

 

膨大なアルバムを漁ってその一枚に合う写真を探してアップして

 

ブログのほうは追いつかずとも

 

自分に課した、約束を守るために

 

続けた42日のあと

 

 

昨日はじめて、43日目の投稿をやすんだ

 

 

 

 

 

 

くるしくてできなかったとか

なにかがあったとか

 

忙しかったとか

 

 

そんなのじゃなくて

 

 

 

 

糸が切れたように

 

わたしは泥になった

 

 

 

 

朝起きて

からだが重くて

 

まるでいつかネガティブな感情をしこたま溜め込んでいたころの

生理前日のPMSみたいに

 

 

からだが重くて

 

自分が泥のかたまりになったみたいで

 

泣きながら

 

すきなひとのことを想った

 

 

 

 

 

 

わたしの声はとどかなくて

 

あんなにもしっかりとつながっていたように想えたものは

 

幻にかわって

 

 

 

わたしはたぶん、

 

そのひとの星座の満月に期待した

 

 

 

 

もういちど何かがもどるんじゃないかと

 

ずっと、毎日そうおもっていて

 

 

 

 

 

でも、もうそのひとが

 

わたしに声をかけることはなくなって

 

 

 

 

 

 

わたしは、自分ひとりでしっかり立てるようになりたかった

 

そのひとがいなくても

 

ちゃんと仕事をがんばったり

 

毎日幸せで生きていられれば

 

 

 

きっとなにかがかわるとおもったんだ

 

 

 

いちにちいちまい、

コンセプトストーリを公にしはじめるきっかけになったのは

 

 

そのひとだった

 

 

 

半年前に渡してから

封をあけてもらえなかったあとに

 

 

けんかをしたあとに

 

最後の望みを託すように

わたしは一部、スーツケースにそれを入れてしごとに向かい

 

 

そのひとがやってきた夜に

 

ベッドの上で

 

一枚一枚、読んだ

 

 

 

 

 

 

だれに褒められることよりも

 

ほかのどんなことよりも

 

 

そのひとが

 

 

「すごいよね」

 

 

って言ってくれることが

 

 

ページをめくりながら

 

内容なんて、聞いちゃいないような様子で

 

わたしの細い肩を抱きながら

 

 

「すごいよね」

 

と言ってくれることが

 

 

 

わたしを、どこまでも強くした

 

 

 

 

何ヶ月もかけて

なんどもなおして

 

書いたそのコンセプトに

 

 

 

 

そのひとがやっと触れてくれて

 

 

 

一番読んでほしかったひとに読んでもらって

 

 

 

 

その直後にわたしは

 

これですべてのひとに届けられるとそうおもって

 

すぐに

投稿を始めたんだ

 

 

 

 

 

 

ゆっくりと

自分を取り戻しながら

強く

やるべきことに向かっていきたいのに

 

気づいたら

そのひとのことを想っていて

 

 

たまらない悲しさと喪失感のなかで

 

とどかない声について想っていて

 

 

 

わたしは

 

満月のよるに

 

さいごのちからをふりしぼって

 

 

 

 

「月の写真、送って」

 

 

 

 

 

とそのひとにメールして

 

 

そのまま眠った

 

 

 

 

 

もう、十分すぎるほど感じきって

十分すぎるほど泣き暮らした日々は明けて

 

十分すぎるほど好きで好きで訳もなく好きで

苦しんで

 

 

 

これいじょうわたしにできることはなにもなくて

 

 

 

いつもは

息子が寝息をたてると

ほっと安心したように静かに

夜の時間に戻っていくのに

 

 

わたしは2歳の横で

その寝息をかくにんするまえに

 

 

小さいベビーベッドの上で

縮こまって眠っていた

 

 

 

どのくらい時間がたったかわからないくらいに目を覚まして

 

そのまま泥の塊のまま

 

コンセプトストーリのことを

 

 

忘れようとして

 

 

自分のベッドにそのままもぐりこんだ。

 

 

 

 

 

何かをつづけることは

ひとつの願掛けみたいなもので

 

 

わたしは毎日、誰に言われたわけでもなく

それを始めたわけだけれど

 

 

1月の末まで

まいにち

 

まいにち

 

ばかみたいに

まいにち

 

愚直に

それをやりきったら

 

 

 

そしたら奇跡が起こるような気がしたんだ

 

 

 

 

また

 

そのひとに逢えると

 

 

 

たぶん

そう想ったんだ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まいにち

 

いってきます

とか

 

そらの写真とか

そのひとのかっこいい写真とか

 

送られてきたのが

 

ぴたりとなくなって

 

 

 

わたしは

 

 

 

どこに向かえばいいのかわからなくなった

 

 

半年もの間、

 

そのひとを想うことで

 

それが自分のエネルギーに変わっていたものが消えて

 

ほんとうは

ひとりでできるはずなのに

 

 

やりかたを忘れてしまった

 

 

 

 

Ayuが翻訳してくれたコンセプトの英語を

 

ていねいに、発音する練習をして

 

 

だんだん終わりにちかづいてきて

 

 

今日読んだページのエフィアスのEのところに

 

erosの、コンセプト

 

”本能は何があなたの生命を燃やすかを知っている”

 

 

 

”結ばれるふたつの愛”

 

”性愛”

 

”はじまりの愛”

 

 

”世界を動かすエネルギーの源泉”

 

 

そう

書いてあった

 

 

 

いつか、それを書いたのは、わたしだ

 

 

 

 

 

理由もないのに惹かれて

逢ったこともないそのひとにわたしは

 

抱いてくれと言った

 

 

 

そのひとはわたしを強く、

だきしめて

 

 

 

わたしはそれを燃料に

 

 

何かを生み出し続けた。

 

 

 

 

 

 

 

”もう、ない”ものに

 

 

しがみついたら、

 

 

炎はあっというまに消えることだろう

 

 

 

わたしがそのひとからの

空の写真に

 

 

そのひとと撮った写真に

 

そのひとの大きな手のぬくもりを頼りにしてしまったら

 

 

 

エフィアスのコンセプトは、

もうこれ以上、前に進まない

 

 

 

 

そのひとを「卒業」することは

わたしにとって「別れ」を意味していた。

 

 

でも先生に

 

 

「卒業」は「別れ」じゃないのよ

と言われて

 

それはただ、今までの幼稚な「恋」の卒業で

 

これからも安心してそのひととつながっていいと言われたとき

 

 

心底安心した

 

 

 

 

 

好きでい続けることは

たやすいけれど

 

 

目に見えないつながりを

信じることも

 

メッセージをこれ以上送らないことも

 

メッセージを送り続けることも

 

どれも、これも

わたしの足を止めていく。

 

 

 

 

 

 

 

エフィアスの写真を1日休んだ夜

 

わたしは泥の塊のまま

長くて心細い夜をすごして

 

 

 

朝起きたら

月の写真はなくて、

 

 

いつもどおり、静かな朝で

 

 

 

わたしは自分への約束をやぶって

 

 

これで、

そのひとには

 

もうにどと、逢えないのかもしれないな

 

とそう想った。

 

 

 

 

 

 

わたしはべつに、何かに意地になって

そのひとをしつこく想いつづけているわけではない。

 

 

この世に男はごまんといるし、

そのひとが何か特別なのかといわれれば、

 

ふつうのひとだ。

 

 

 

 

そのうち幻が過去に流れていくのなら、

穏やかにそれを抱きしめようとおもう。

 

 

 

 

 

エフィアスのインスタグラムのフォロアーが
ゆっくりだけれどなかなか増えないその脇で

 

ニネの写真のフォロアー

満月の夜に増えた。

 

 

 

 

 

 

わたしは、いろんなもので、できている。

 

むすことか、アクアエスリスとか、好きなひととか

ニネとかエフィアスとか

美味しいたった一杯の、紅茶とか、

 

泥とかで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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