Holy night ③

エフィアス浄化祭 記事一覧はこちらから

⇒ 〇〇〇

 

 

散歩のときの空。その向こうには、とおい、好きなひと。

 


 

結婚というのはお金がかかるものなのだと、わたしはその時に思った。

 

わたしは毎回、本当にいいのか確認したが、

彼は次々と何かを買ってくれた。

ある分は全部使うといった具合に、家具も全て、わたしの欲しいベッドから

何から何まで買ってもらった。

 

わたしの母は、アメリカから帰ったばかりの娘が結婚するということで、

大きな2ドアの冷蔵庫を買ってくれた。

リッターが大きなタイプで、2ドアを探すのは苦労した。

日本の冷蔵庫はどこもかしこもちまちま、仕切りで分かれており、

扉がいっぱいある、醜い冷蔵庫しか売ってなく、

わたしは気に入らなかった。

 

すっきりしたデザインで2つドアが付いているような、かっこいい冷蔵庫は、

大きなものだと海外製ばかりで、何十万としたから、

探して探して、

シャーブだかどっかの2ドアのものが見つかった時に、

それをインターネットで注文した。

 

 

私が幸せだったのは、見事なまでに “一瞬” であり、

それは妊娠が分かった時には、すでに壊れていた。

最初からヒビが入っていた関係になど、当時のわたしは気付くはずもなく、

彼は豹変した。

 

逆上し、

“自分のことを利用してくれ” と言った笑顔は、

“他人のことを見下し、利用する娼婦め” くらいな、

どこまでもいたぶり尽くす言葉に、一瞬で変わった。

そこには歪みきった愛しか存在していないように見えた。

 

 

実家に引き戻されたわたしが、

いよいよ “どう考えても結婚は無理だ” と諦めた時、

今までに使ったお金や買ったもの全てに関して、

“結婚するから買ってやったんだ” くらいなことを言われて、

わたしは当時、これ以上ないくらい傷つき尽くしたのち、

 

“わたしだってそんなつもりで買ってもらったわけじゃない”

と泣きながら訴え、愚かにも相手に噛み付き続けた。

 

それがそもそもの過ちだったが、当時はまだ、

“感情を解放する” などという言葉を知らなかったわたしは、

なんとかして彼に分かってもらおうと、必死になればなるほど、

ことはこじれていったのである。

 

 

わたしは、新しいベッドやティファニーの指輪にしがみついていたわけではなかったので、

買ってもらった全てを突き返した。

 

それでも、そこに対する執着はどうしても抜け切るまでに時間がかかり、

本当に辛くて長い期間を過ごしたが、

今から思い返せば、それは “ものに対する執着” ではなく、

“自分自身に対する尊厳” への執着であったのだ。

わたしはその二つを履き違えていたため、延々と苦しく、

お金やものに執着している自分が許せないままでいた。

 

彼は養育費も一銭も払わない選択をし、

長い間それとも戦い、弁護士にも相談に行ったが、

弱すぎる身に、微々たる金額が入ったとしても、痛手の方が大きすぎるがゆえ、

わたしはとにかく、泣き寝入りするしか方法はない事実を、

ようやく受け入れた。

 

わたしは惨めの骨頂で、

お姫様みたいに何でも買ってもらって、

お姫様みたいに扱われていたところから、

奈落の底に突き落とされた挙句、

傷だらけのまま、

その身分は二度と戻ってくることはなかった。

 

わたしは男を騙し、利用し、子供を作ったあとに、

結婚詐欺でものを買わせて逃げた、犯罪者に成り下がった。

 

 

わたしは、“養育費” 自体が欲しかったというよりかは、

別の答えが欲しかったのだろうと思う。

 

なぜ彼は、別のところには変わらずにお金を払っているのに、

自分の子供のための養育費は払わないのか。

わたしは自分の振る舞いが、相手をそうさせていることが分かっていた。

そこにもがき苦しんだ。

 

「相手が心から理解してくれて、お金を払ってくれて、わたしはそこに深く感謝する」

そんな関係を真摯に望んだが、

何か目標に向かってコントロールしようとすればするほど、

彼は毎回、突然スイッチが入るように逆上し、

わたしは屈辱的な言葉でいたぶられた。

 

答えは出ぬまま、わたしは丸ごと放り投げて諦めることで、

心穏やかな日々はようやく戻ったかに見えた。

 

 

その人にはもう二度と逢うことはなく、

息子に物心がついて “おとうさん” に会うことを望んだら止めるつもりもなかったし、

そういう意味ではわたしは、あるレベルでは、彼を赦すことができていた。

 

それにも本当に時間をかけたし苦しんだが、

そこから今回まで彼の事で何かが苦しくなることは、

一度もなかった。

 

 

三輪車の背中を押しながらズンズン歩いていくと、

どしっと崩れ落ちる瞬間がやってくる。

わたしはその人からされた、死んでも赦しがたかった事と全く同じことを、

一番大事な好きな人にしたことが、分かった。

 

 

好意で買ってあげたり、好意で尽くしたのちに、

“そんなつもりじゃなかった” と請求したことで、

あれほどまでに苦しみ、のたうちまわったのが不可解だったが、

その記憶のせいであったことが、約2週間かけて、

 

やっと

つながった。

 

 

本来であれば、さらりと

“してあげたけど、お金は払ってね♪” と言えるはずのところで、

異常なまでの罪悪感に苛まれたのは、

私が過去に、逆のことをされた挙句に、ボロボロに傷つけられた、

 

そこから来ていた。

 

 

わたしはそのまま泣き崩れて、しゃがみこんだ。

祖母と犬が遠いことを確認して、そのまま声をあげた。

何百回ごめんなさいを言っても終わりがこないように思えるほど

何もかもが赦せず、

ひとしきり半狂乱で謝って、一体それが誰の、何に関してなのかは、

もはや認識不可能だったが、

 

落ち着くまでそれをしたのち、ゆっくり顔をあげた。

 

祖母はもう、犬と折り返して家に戻るところであり、

息子はいつも通りであった。

 

空の蒼はだんだん深まっていって、

わたしは、

「ひとは、もっとも赦せない人間と同じ行動をとるようになっているのだな」

と、“赦し” のメカニズムについて、ひとつまた、

小さな鈍い色に光る石ころを拾い、

 

新しいあったかい、コートのポケットにそっとしまいこんだ。

 

ずっと言葉に詰まって、何も言えなくなっていた好きな人に対して、

やっと、

するすると元のように何かを伝えられそうだ、と

そう思った。

 

“こんなことがあってこんなことが分かったよ、ごめんね”

“また、ぎゅってしてね”

といった具合に。

 

 

気温は刻々と下がっており、

息子はじんましんの “かゆい” のため、薄着だった。

いつもながらに付き合わせて悪かったねと、わたしは小走りで

祖母の家に進行方向を変えた。

 

 

 

 

 

 

Commentする

投稿時メールアドレスは表示されません *は必須です