Holy night ①

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これもいただいたお茶の包み。可愛い。

 


 

わたしは小走りで脇目も振らずに車に乗り込み、

保育園に向かった。

小さな2人乗りの車のトランクは、荷物がめいっぱい詰め込まれていた。

そのなかには巨大な靴下も含まれていた。

 

普段はギリギリまで仕事をして、

または自分のために時間を使って、遅刻気味で迎えに行くことばかりだが、

その日は駆け足で息子を乗せて、数ヶ月ぶりに児童館に出かけた。

じっと見守る中、彼は楽しそうに閉館まで遊んだ。

 

おばあちゃんの家で昨日の残りのエビフライを食べて、家に帰った。

 

大荷物をトランクから玄関まで運び、

引き出しの中から不揃いな、単3電池の残りを探し当て、

げろげろ苦労して買ってきた、

クリスマスのツリーの形をした飾りの電気に入れた。

 

本来はツリーとかに飾るやつなのだろうが、うちにはツリーがないため、

カーテンにかけてみせると、

それはそれは可愛くて、わたしは死ぬほどあったかくて幸せな気持ちになった。

 

息子を呼びつけて、

「たおくん、見て、見て、ツリーだよ!」

と指差すと、彼は嬉しそうに、

「のんのんさん」

と指差した。

お墓かお寺の照明と間違えている。

 

ツリーの形をした電気よりも、のんのんさんと間違えている息子のほうが、

もっともっと可愛くて愛おしくて、

わたしは彼をぎゅうっと抱きしめた。

 

 

じんましんはひととおり身体中を巡ったのち、だいぶ治まってきていて、

その前の日に泣きながら夜中に起きてきた彼と、

わたしは一緒に眠った。

 

いつも本当に、よく我慢してくれた。

 

 

次の日、わたしたちは一緒に、靴を買いに行った。

長い間無償で手伝ってくれているスタッフの人たちに、

クリスマスの荷物を送るため、近くのローソンに寄った。

 

財布の中には現金がほとんど入っておらず、

荷物を送るのにギリギリ足りるか足りないくらいで、私は祈った。

送料を支払うと、

ビーズのついたピンクの小銭入れの中身は、残り100円と、10円が何枚かになった。

財布の中身は空っぽでも、昨日味わったようなげろげろは、跡形もなく消えていた。

 

これでは靴を買うどころか、今から食べに行こうと思っていたうどん代も出せない。

引き返して実家に戻り、母から孫へのクリスマスプレゼントの靴代をもらった。

 

北海道にスキーに行ったはずの父が、雪で引き返して戻って来たところであった。

わたしは息子とふたりで食べるはずだったうどんを、

おじいちゃんおばあちゃんと全員で、食べに行った。

 

食事が終わり、両親と別れようとすると、泣いて聞かず、

どうしてもおばあちゃんの車に乗りたがる息子。

帰りに電気屋に行くと先に出た両親に電話をし、うどん屋まで引き返してもらった。

息子は嬉しそうに、おばあちゃんの車に乗って行って、

わたしは後ろからひとり、アイボリーのミニクーパーを追いかけて、

息子の乗っている、見えない車内を想像した。

 

時間がもうないからと急ぐ母に、

煌々と光る家電量販店の中で息子と手をつないで走って、

欲しかったスチームアイロンの箱を取りに行った。

自分で買うつもりのものだったが、ひょんなことからそうなったが、

思わぬクリスマスプレゼントに胸があったかくなった。

 

今まで当たり前に買ってもらったり、受け取ってきたもの

ひとつひとつ噛み締めて行った結果、

何もかもがありがたくて涙が出そうな時間は

雪が降って柔らかく景色が白くなるように、幾重にも優しく積まれていく。

 

その日、わたしは自分がサンタになると決めて、

息子を連れて祖母、息子のひいおばあちゃんの家に行くことにしていた。

靴を買ったあと、ケーキを買って祖母の家に寄った。

 

父方の祖母は一人暮らしで、いつも父が通って面倒を見ているため、

スキーに行って一人であろう優しくて大好きな祖母のために、

わたしはまた、サンタになることを決めていたのである。

 

 

少し前に、先生に

“たおくんのお父さんを赦しきること” が出てます。

ここだけ抜けられるようにがんばります。”

と送っていた。

前回のコンサルの中では、そのキーワードは出てきてはいなかった。

 

 

祖母の家に車をつけると、色々な記憶が蘇り始めた。

その地域は、わたしがたおくんのお父さんと、短い間だが一緒に住んだ場所の

すぐ近くであった。

遭遇しないかいつもビクビクしながら、見て見ぬふりをしてきた。

もう二度と、会いたくはなかった。

 

わたしはその人を愛してはいなかった。

子供まで作っておいてなんだが、心から正直になれば、全く好きではなかった。

それはおそらく最初からであり、当然ながらその関係はうまくいくはずはなかった。

彼は私に脅迫的に憧れており、「利用してくれて構わない」と言った。

わたしは、その言葉を鵜呑みにし、大好きだった前の旦那さんとの別れの直後に

結婚を申し込まれ、

その人を「利用」したのだ。

 

共依存でDV関係ののち、わたしは妊娠中ノイローゼになり、

複数の人が彼のことを “人格障害” とか “発達障害” と言った。

わたしはそれがどんなものなのか、正常に判断する力は、当時持っておらず、

ずるずると離れたり依存したり、

不安で生まれてくる子供の “お父さん” にしがみついたりしながら、

すでに別れていたクリスマスに、その人の家にケーキを持って行った。

 

すでに泥沼中の惨劇は十分すぎるくらい繰り広げられていたが、

わたしは弱かった。

 

彼は、にこやかに優しい言葉をかけた直後、

豹変して暴力的な言葉を投げかける二面性を繰り返した。

 

わたしの

“永遠など存在しない”

“昨日まで優しかった人は、突然手のひらを返したように私を傷つける” 恐怖は、

どうやらこれも関係しているようであった。

 

わたしは、ひたすら怯えていた。

当時は、彼のほうが力関係では強く、

小生意気なわたしの屁理屈など、完璧なまでに捻じ曲げて屈服させるような、

異常なまでの支配力を持っていた。

 

 

わたしは今は、それに飲み込まれることは、もはやないであろう。

彼が癒されて変化したかどうかは知らないが、

深く、根深く、傷ついている人だったにちがいない。

 

スタートは、悩みを聞いてほしい、カウンセリングをしてほしいというところから始まった。

わたしにはそれだけの癒す力も分別力も経験もなければ、

人として今よりももっともっと未熟で、隙がありすぎた。

 

わたしは、彼のことを許せないでいたが、それよりももっと、

自分のことが許せないでいた。

 

わたしが自立できたのは、まぎれもなく “養育費” を払ってもらうことを手放したからだが、

手放すことと、そこに根深く刻まれた傷のことは、

別に存在していたのである。

 

いよいよ全てを解き放つ時が近づいていることは、なんとなく分かってきた。

 

 

 

 

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