7730円の手切れ金④

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彼にあげたスマイソンのノートと色ちがいの、
メッセージを書いてもらったピンクのノート❤︎

 

 

 

彼はいつもどおりだった。

いつもどおり、優しかった。

わたしはボロボロで、そんな優しい彼を恨んでいた。

 

彼はわたしに “ありがとう” と言って、ボロボロのわたしに触れて、

本当に感謝していた。

痛いほどそれが伝わり、わたしはもうどうしていいか分からなかった。

自分が引き起こしていることをどこかでは分かっていたのかもしれないが、

いろんなことが、すでにピークを超えていた。

 

彼はわたしのことを大切に扱っていたのに、

わたし自身が自分のことを、「都合のいい女」に仕立てあげたのである。

そして “なんで私ばっかり” 祭りは始まった。

 

車を停めて待っていた時の駐車場代、600円を事前精算機で支払おうとした。

本来「迎えにあがる」のは全て含めて、わたしのこころからのプレゼントのはずだ。

そこにはもちろん、駐車場代600円も含まれていた。

わたしには600円払う能力があった。

 

わたしはバッグから、クライアントさんからプレゼントしてもらった

可愛いビーズの小物入れを出した。

淡いピンクの真ん中に、大きくMとかいてある。

それは本来小銭入れではない。ちいさなリップとか、薬を入れるのに良さそうなものだ。

 

わたしはそれをゴホゴホ言いながらおもむろに取り出し、

彼へ当てつけるように、駐車場代を払った。

彼はお金を出そうとして、「ある?」とわたしに聞いた。

 

わたしは、

あなたが買ってくれる予定の小銭入れがないから、今は代わりにこれを使ってるのよ

と見せつけて、

 

こんな思いをして迎えにきたのに、駐車場代も出してくれないの?

と無言で文句を言った。

 

文字通り、倒れそうであった。

 

 

宿泊先に着いたのは、日付をまたいだ深夜であった。

途中の道すがら、ああだのこうだの、声にならない声で小さな車の中で過ごす時間は

あまりに楽しくて、何もかもを忘れた。

いつも出張先のホテルで待ち合わせることばかりだったから、

吉野家とかマクドナルドを通り過ぎるたびに、ふたりでキャッキャ言いながらどこに入るか話すのは、

たまらなく幸せな気分であった。

 

わたしはかれと、こういう普通の、当たり前に恋人たちが過ごすような時間を、

過ごしたかったのだ。

 

ホテルのスイートに泊まって朝まで眠るのに、あこがれた時期もあった。

でも、わたしにとっては、そんな当たり前すぎる普通の時間が、

どうして自分と彼の間に存在しないのかが分からなくて、

わたしはその夜、真っ暗な道路を彼を助手席に乗せて運転するのを、

こころから、楽しんだ。

 

 

車の中から出て、和食のチェーン店にふたりで入った時、

彼はずっと仕事の連絡を、携帯電話で取り合っていた。

わたしは携帯電話のメールアドレスを知らなかったので、それを見ながら、

わたしの知らないことを山ほど持っているだろう彼のことを、

とても遠く感じながら店の階段を上がった。

 

翌朝の時間がとても早くなったことを告げられた時、

一緒に過ごしたいのはわたしだけなのだと、そう思った。

 

わたしは深夜の和食のチェーン店で、彼が食べる姿を幸せに眺めながら

ツーショットの写真をズタボロの顔で何枚か撮って、

それを見てニコニコ幸せな気分になった。

彼がただ、そこにいることが嬉しかった。

 

ただそこで、目の前で、彼がご飯を食べていることが、嬉しかった。

 

わたしは深夜の和食のチェーン店のラストオーダーで、

ティーバッグの、味のしない紅茶をすすって、

350円だか380円を彼に出してもらった。

店を出る時に、レジの前でお金を払う彼の背中を見ながら、激しくざわついた。

 

どんな顔をしてお礼を言っていいのか、当然のように払ってもらっていいのか、

ごちそうさまでしたと深々と頭を下げたらいいのか分からなくて、混乱した。

たった300数十円受け取ることすら、わたしは出来なくなるほど、

自分は彼に何かをしてあげることに、急ブレーキをかけはじめていた。

 

 

宿泊先に着くと、彼はわたしに、別で部屋をとってあるか尋ねた。

迎えにきたわたしのために、彼が部屋を用意してくれているならともかく、

わたしが自分で彼と別々の部屋をとる理由は一ミリもなかった。

わたしは首を横に振って、彼をホテルの前に降ろし、駐車場に車を入れに行った。

駐車場に入って車を止めると、わたしは出口を探して、

ふらふらのまま寒くて暗い、そのコンクリートの建物の中をうろついた。

 

なぜかどこにも出口が見つからず、体力の限界を行ったり来たりしたまま、

探してきた道まで降りると、今さっき車で入ってきたはずの入り口のシャッターが下りていた。

何が起こったのか分からずに困惑して、深夜の駐車場に閉じ込められたわたしは、

何もかもが八方塞がりのまま、冷静に事態を把握しようとすると、

駐車場の営業時間が午前1時と記されていたことに気づいた。

携帯の電源ボタンを押すと、そこには1:04という液晶画面が浮かび上がった。

不幸なことって続くよな〜と、悠長に構えていられる余裕などあるわけがなかった。

 

ひりひりしたまま、そのまま救急車で運ばれる結末にならずに済んだのは、

駐車場の脇の自転車置き場にやってきた、親切な若い男子が、

網の中をくぐって出られる場所を探してくれたからであった。

 

踏んだり蹴ったりのまま、ふらふらと彼のいる部屋までたどり着くと、

彼はわたしを抱きしめてくれた。

部屋の中は、彼の腕の中は、明るくて暖かかった。

 

彼が悪いわけじゃないことは分かっていたが、

もう、優しくなれるだけの、思いやれるだけの愛は、

わたしの中に残ってはいなかった。

 

わたしはテーブルの上に、わたしの知らない携帯電話が載っているのを見て、

彼が2つ電話を持っていることを知った。

もう頭を真っ白にして何も考えずに、ただ眠りたかった。

お風呂に浸かって温まったあと、バスローブの置いていない客室内で、

病院の患者さんが着ているようなパジャマに袖を通して、

仕事中の彼の背中を見ながら、ベッドにもぐりこんだ。

 

彼に後ろから、「信じられるひとはいる?」と訊いた。

誰かを信じて裏切られたとしても、信じ続けるのかどうか訊いたら、

「そんなことしょっちゅうだよ」と彼は言った。

彼は人とのつながりに対して、進んで損をしているように見えた。

彼が慕われる理由も、人から評価を受ける理由も、わたしにはよく分かるような気がした。

 

終わりかけの生理の血が、また真っ白なシーツを汚して、

わたしは死にたくなった。

自分がどこまでも汚い存在のように思えて仕方なかった。

 

彼と次に逢う約束はしていなかった。

何もかもが壊れる手前のような気がした。

2つ離れて置いてあるベッドで別々に眠ることはなく、

わたしが汚したシーツの上に、彼はいつもどおりやってきて

体の大きな大人ふたりには小さいベッドの上で、

彼はやさしくわたしを後ろから抱きしめた。

 

大きな彼の身体はやっぱり暖かくて、優しかった。

それは本当にいつまでも変わらない、温もりのような気がした。

 

眠った時はすでに夜中だったが、もっと夜が更けていったあと、

彼に「また、逢える?」とささやくように、訊いた。

彼は間髪入れずに「もちろん」と言って、わたしを抱いた。

 

あれほど悲しい夜は初めてであった。

 

 

 

 

 

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