7730円の手切れ金①

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『感情的にならない方法』という本を見かけた。

 

感情は、人々にとって永遠の悩みの種であるらしい。

逆をいってしまえば、「感情」を扱いこなせるようになれば、
人生の主導権を握ることにもつながる。

 

感情的になることで苦しい場合、

「それを残したまま、自分とその感情を完全に切り離してしまう」か、

または「その感情を感じ尽くして成仏させるか」の2つしか、選択肢はない。

 

感情は身体の反応である。
びっくりしたときに鼓動が速くなるのと全く同じである。

だからそれをコントロールしようとするのが、そもそも間違いなのだ。

 

それを確かに、後回しにすることはできる。

それをやり続けた結果、どんどん出口のない迷路に迷い込んで
二度と出られなくなったような、そんな人が

わたしのもとにやってくる。

 

 

 

今、それをやるか

3年後にそれをやるかそれとも来世にやるか

それは自由だが、“コントロール” できるものだとは思わないほうがいい。

 

「瞑想をして感情的ではなくなった」という人もいるが、

沈殿物が底に沈んでいる状態をキープできるようになることは

それはそれで価値のある技術だが、あまり期待しないほうがいいだろう。

結局は、底に泥は溜まっていて、いつかそれが浮上して、のたうちまわることになるのだから。
それはわたしたちがコントロールできる範疇を超えている。

 

 

 

 

わたしの今回のそれは、突然やってきたとは言い難かった。

「癒される時を、満を持して待っていた」というほうが正しい。

 

 

きっかけは、まさに

“クリスマス” が近づいてきて、いよいよ癒さねばいけない時がやってきたという
それだけであった。

 

trigger になる事柄というのは、人によって状況によってもちろんまちまちだが

年に一度のイベントなんかは、一年を振り返るのに、
過去の記憶と瞬時につながるのに、十分すぎる要素になる。

誕生日とかクリスマスというのは特に、傷の上塗りにうってつけの、

世にも恐ろしい経験になりうることだろう。

 

“きた” と思った時に、まずはテーマを掲げた。

浮上したのは「おとうさん」であった。
入り口は、“好きな人にプレゼントを買ってほしい” だったが、

傷の根っこを深くたどっていくと、もちろんどんどん奥には

いろいろな沈殿物が残っていそうであった。

 

 

記憶に新しい、1年前に泣きながら夜遅くのトイザらスに駆け込んだことも

癒しきれているかは定かではなかったが、

とりあえず集合的にできるところまでやってみようと思った。

 

 

“おとうさん” は直感的な目測である。

セラピストとして、“決めつけ” は最大のタブーだが、
その原因を探るべく、大体の憶測を立てるのは大事なことである。

それが全然違った方向で癒されることもあるが、
直感的に見通したことが外れる確率はとても少ない。

 

そして始まる旅を終わらせる期限は、もちろん

“クリスマス”、その日をピンポイントでめがけてである。

 

鐘は鳴った。

 

 

 

 

 

 

そもそも元々、好きな人に何かを買ってもらうというのは、
わたしにとって、もっともハードルが高いことのひとつであった。

 

自分で稼いだお金で何かを買うのは楽である。

誰にも迷惑をかけないし、好きなだけ、あるだけ、お金を使えばいい。

 

問題は「それだけの稼ぎがなく、誰かにお願いしないといけない場合」とか、
「必要でもないけれども、欲しいものを素直に“欲しい”と言えない場合」である。

 

 

わたしの場合、過去に遡ってみると

相手によってそれがいとも簡単にできる場合と、そうではない場合があるようだった。

好きな人にいつも言えないかといえば、そんなこともなく、
過去には「なんでも好きなもの買ってやるよ」と言ってくれた恋人も、もちろんいた。

簡単に「これ欲しいから買って❤︎」と言える場合もあった。

 

「買ってもらえなくても別にいいや」と軽く思っている時に、それができるに違いなく、

「買ってもらえなかったらどうしよう」と重々しく感じてる時に、それは怖くなる。

 

どこにつまずいているのか、見えてくるまでには時間がかかった。

 

 

 

 

わたしが欲しいものは4つあった。

9月に小銭入れが壊れてから、なんとなくそのまま買わずにいるコインケースと、香水

 

毎日ずっと身につけていられる5号の指輪と、

大きなダイヤのついている、キラキラした夢みたいな5号の指輪  だ。

 

好きな人と過ごすようになって数ヶ月経った時に

ちょうどコインケース買わないとなー、というタイミングがきたので、

忙しい彼のために、準備してもらう期間を含めて、
クリスマスにこれが欲しい❤︎と、スマイソンのハートのコインケースの写真を送った。

 

返事はなかったが、気にも留めてなかった。

 

 

「欲しい❤︎」と投げて、終了。

それは前者の、「別に買ってもらえなくても全然構わないや」
という状態そのものであった。

 

 

小銭入れがないのは実に不便で、さっさと自分で買ってしまいたくなったが、
なんとなく好きな人からプレゼントされたものを大事に使いたかった。

本当は指輪が欲しかったが、あまり重たい意味をもたせて嫌がられるのも嫌だったので、

ハートのコインケースだったらいいかな〜、くらいに思ったのである。

 

言うまでもないが、それを買うだけのお金は今の自分にはあった。

すぐに探して注文することはできたが、
その人から、なにか形あるものが欲しかった。

 

物質的なものを愛情と履き違えていた過去とは違い、
そこに執着していたわけではなく、

彼との関係においても物質的な「モノ」を求めているわけではなかったが

単に遠くて会えないその人のことを、いつも身近に感じていたかったのである。

 

指輪とか、毎日つけていられるものであれば、
その人のことを、いつもそばに感じることができる。それだけであった。

 

 

 

 

7730円の手切れ金②

 

 

 

 

 

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