12月の記憶についての記録③

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12月の記憶についての記録①

12月の記憶についての記録②

 

気づいたら増えている、スマイソンのステーショナリーの数々

 

 

 

 

 

大人になってもプレゼントを交換しあうのが、
アメリカンピープルという、家族団らんの習わしである。

 

初めて過ごす、恋人とのクリスマス。

わたしは大好きな彼とニューヨークで、二人きりで、デートがしたかった。

それは叶わなかった。

 

ニュージャージーの古い家の、彼の寒い部屋で二人眠ったあと、
夜が明けて、25日の朝リビングに行くと

そこには見た事もない光景が広がっていた。

 

巨大なツリーの下に置かれたプレゼントたち。大きな靴下と、リボンのかけられた箱の数々。

わたしの知っている限り、それは小さな子供の頃に、サンタクロースが夜中にきて
枕元にプレゼントを置いていくものだと思っていた。

 

成人した男2人と両親は、リビングで
みんな恥ずかしそうにプレゼントの包みを開けている。

わたしはその光景を見ながら、何が執り行われているのか必死で目を丸くして

目撃しているような気持ちであった。

ある意味、生まれて初めての「クリスマス」を目の当たりにした瞬間であった。

 

それぞれの名前の書かれた大きな靴下が、ツリーにはぶら下げられており、
これこそが悲劇の中の悲劇だったのだが、なんとそこには、わたしの名前の書かれた靴下もあった。

わたしは一体全体、どんな顔をしてそれを受け止めていいのか、全く分からずに

戸惑いの頂点にいた。

ニコッと笑って、“ありがとう” を言うことすら不可能に思えたが、
当時はほぼほぼ、何が起こっているのか分からずに、

わたしは強張った顔で、とりあえずその場に居合わせた。

 

見ていると、プレゼントはサンタクロースが届けたものではなさそうだった。

それぞれが欲しいものを事前に伝え合い、手分けして用意し合い、
そして包んで25日の朝に交換し合うというわけである。

何が入っているのかはみんな当然知っており、唯一知らずに
サンタクロースから届けられたような、おぞましいサプライズを味わい尽くしたのは

その場でわたしひとりだった。

 

わたしはまだ付き合って日も浅かったため、

特に欲しいものを聞かれていたわけではなかった。

彼にはすでに、欲しいものを買ってもらっていた。
靴下の中には、よく分からない人形や、外国でおとうさんが買ってきたというこれまたよく分からない置物や、

タイトルも覚えていないくらいの、よく分からないアメリカ純文学の本やピーカンナッツが入っていた。

 

「アメリカ人はクリスマスを行事として、1年の中で正式に執り行う生き物なのだ」ということを

わたしは生まれて初めて知った。

 

わたしは1LBたっぷり入ったピーカンをシティまで持ち帰り、

スコーンを焼いたり、キャラメリゼして食べたりしてその年のクリスマスは無事に、

なんとか無事に、終了し年はいつもどおり明けていった。

 

 

 

 

 

 

翌年のクリスマスは事情が少し違い、わたしは結婚していたため、
家族の一員としてそこに迎えられた。

プレゼントはピーカンと、わけの分からない人形から、欲しかったカルファロンの平たいパンと、

同じくカルファロンのワッフルメーカーにアップグレードされていた。

それは、サンタからではなく型番まで指定した、
家族全員からの愛のこもった、“現実的な” プレゼントであった。

 

欲しいものを聞かれた時にiPad miniをリクエストしていた私だったが

それが彼が買ってくれるのかそれとも家族からもらえるのか

何個までなのか、いくらまでなのか
システムはよく分からなかった。

 

わたしはとりあえず、欲しいものをリストにして書いて渡してあり、

その中には、大好きなKOBOのキャンドルも数個含まれていた。
各部屋でKOBOのキャンドルをいつも愛用していたわたしは、
なくなった香りからリストに書いた。

 

実家に赴く前に彼から、

「まいちゃんのプレゼントは荷物になるから、行く前に渡しておくね」

と言われて、その中にはキャンドルが入っていた。

わたしは喜び、それはそれで嬉しかったが、
ipadはもらえるのかもらえないのかがよく分からなかったため、

とりあえずプレゼントよりも何よりも、今から赴くアレルギー戦場に向けて
心の準備を整えるのに必死であった。

去年よりは勝手が分かっているため、プレッシャーは半減していたがそれでもやはり憂鬱な出発であった。

 

 

 

 

 

 

家族として迎え入れられたわたしは、幾分気が楽になっていた。

彼のお母さんは相変わらずで、わたしがキッチンで何かを作るとその端から掃除をし始めるような

煩わしい神経質さを見せていたが、それでも昨年のような拒否反応はなくなっていて
彼の家族に対する愛着のようなものは、確実にそこに育まれつつあった。

猫アレルギーも相変わらずであったが、

わたしは家族との時間を楽しむ余裕ができていた。

 

わたしは全員に、とにかく大事にされていた。
優しくされ歓迎され大切にされ愛され、それを斜めに構えて見ながら拒絶していたのは
まぎれもないわたし自身であった。

 

 

25日の朝。

去年のような、背筋が凍るほどの言葉にならない辱められる感覚はなくなっていた。

何が起こるのかわたしは知っていたし、それがアメリカというものであり
アメリカの家庭の文化であることは分かった上で、

「よし来い」といった具合に、彼とクリスマスの朝を迎えた。

 

大人になっても、皆が揃って
嬉し恥ずかし演技をしているようなその光景を前に、
大きな古いカウチに座った彼の横にちょこんと腰掛けて

それは目撃か監視から、観戦くらいに変化しているのを感じた。

 

 

 

 

 

それぞれに割り当てられていくプレゼントの数々。

これはおにいちゃんね これはおとうさん これはマイの分

割り当てられた包みを抱えて、そこにワッフルメーカーやら、
自分の欲しかった何が入っているのかを想像した。

激しい抵抗は何だかくすぐったい感覚に変わっていて、
それでもまだ、小さな恥ずかしさは湧き上がるのを感じた。

 

クリスマスはそして、わたしたちがいつまでたっても、大人になっても

子供に戻ることが許されるような、そんな日なのかもしれないと

そう思った。

 

 

 

 

 

小さめの箱を手渡されて、これはぼくからと言う彼に、わたしはきょとんとした。

彼からプレゼントは、出がけにすでにもらっていた。

 

包みを開けると、そこにはiPad miniが入っていた。
わたしはそれが、両親かサンタクロースから届くことしか考えていなかったので

彼のサプライズに泣いた。

彼は少し恥ずかしそうに、何でもない様子でクールに振る舞った。

 

そんな風に気を利かせて、驚かせるようなことをする人ではなかった。
不器用でいつも忙しく自分の仕事に没頭していたことに
わたしはいつも、不満だらけだったのだ。

 

わたしは愛されていた。どこまでも大切にされていた。

それに気づかずに文句ばかり言って、何一つ感謝しようとしなかった

当時のわたしは、

本当にいつも、不幸だった。

 

 

 

 

 

わたしはアメリカのクリスマスがこんなにも楽しいものだったのかと享受しながら、

その年の暮れ、マンハッタンのアパートへ、たくさんのサンタからの大荷物を抱えて帰った。

 

その後、彼と、彼の家族とクリスマスを過ごすことは

もう二度と、なかった。

 

 

 

 

7730円の手切れ金①

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7730円の手切れ金⑥

 

 

 

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