生と死-apathy

 

Love of my life / Thierry Lang

 

 

人の死は、最も「生」に近いところにある。

 

 

あなたの前に「死」がなんどもチラついた時

あなたは何をすべきかというと

 

命について生について

「LIFE」について、

 

 

もう一度見直しなさいということだ。

 

 

 

「死」ほど「生」を鮮やかにはっきりと
浮かび上がらせるものを

他にわたしは知らない。

 

 

激しく「死」に惹きつけられるとき

デスパレートに「死」と隣あわせのとき

 

 

あなたの魂は「死」に向かっているのか

それとも「生」を乞うているのか

 

見直してみるといい。

 

 

 

 

 

 

家族の系譜は、あなたの生まれるずっとずっとずっと前から

つながっている。

 

それは血のつながりがあっても、なくても

どこまでも、連なり続けて、いる。

 

 

 

あなたがすべてを忘れようと試みたところで、

あなたの魂は

 

残念ながら

ずっと、ずっとずっと、この先何百年経っても

 

覚えていることをあなたは覚えていたほうがいい。

 

 

 

 

 

「まいさんの”お母さん”に関する記事だけ、

なぜか読めないんです」

 

「コンセプトの”家族”のページだけ、目を背けたくなりました」

 

 

 

 

タイミングが来るまで、

 

あなたが「癒される」準備が整うまでは

無理はしなくていいし、わたしの長い文章など
読み飛ばして一向に構わない。

 

 

 

かならずその時はくるから、

 

それまでは、

 

刻々と、あなたの中に、

あなたの「いのち」の中に

 

なにが刻み込まれているのかを

 

 

ゆっくりと見つめていく大切な準備期間である。

 

 

 

 

意味のない「生」も
意味のない「死」も

この世には存在しない。

 

 

出来事から何を拾うのかは

そう、

 

あなたの自由なのだから。

 

 

 

 

一年に一度

蒸し暑い夏の夜に

代々の魂が再会する日

 

 

ただのホリデーにするか

深淵な「命の系譜」に触れるかも

 

あなたが好きなように過ごしていいだろう

 

 

 

 

 

今夜、土星が無事に順行に入って、

混沌としていたエネルギーはこれからととのってゆく。

 

これ以上自分を見失うのはこりごりだと思わんばかりに
誰かを想う、胸の高鳴りは同時に冷淡なほどの
無感覚をつきつけてくる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わたしが祭りが嫌いなのは、

祝日が嫌いなのは、

 

高揚と盛り上がりと明るい光と

生き生きとしたエネルギーの交差は

 

より

 

寂しさや闇や孤独や失望や虚を

くっきりと

際立たせるからだろうと思う。

 

 

 

 

ひとは走り続けることはできないし、

止まって空を見上げるときに

 

どれだけその静と沈黙を

 

恐れずにいられるか

 

 

 

それが、

 

ほんものの、生きる力そのものだと

わたしはそう思っている。

 

 

 

 

夏は、いつも

わたしに痛々しいほどの「終わり」を感じさせる。

 

 

わたしが「冬」を愛しているのは

 

その向こうにある「始まり」と

温もりを垣間見せるから、

それだけだ。

 

 

 

 

陰と陽の間で見えるもの。

 

わたしはだから、

真っ暗な場所から「光」を臨むのが好きなのかもしれない。

 

 

 

お盆に差し掛かると、

夏が始まった瞬間にやってくる「終わり」が
現実になってくることに

 

心底ほっとする。

 

 

 

苦しいほどの切なさを
夏の夜に洗う、

 

 

 

ここから9月1日の新月と強い浄化の一週間まで

淘げるだけ淘いで、滌いでゆく。

 

 

 

 

ときどきは、

とてつもなく虚な夜を

愛を込めて,

 

E,

 

 

 

Commentする

投稿時メールアドレスは表示されません *は必須です