拾い行き着く世界

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つまり拾うちからというのは、

イコール「幸せである能力」である。

 

それは鍛えられる。

 

 

砂利のなかに、カラフルな石が紛れて落ちていて

じっと潮騒に耳を傾けながら

「今」にあるとき

 

次第にその天然の石はあなたの目に入ってくる。

 

あれ、ただの砂利だと思っていたのに

実はたくさん落ちているのでは?

 

と気づくようになる。

 

 

そしてひとつ拾い、

またひとつ拾っていくと、

 

砂利の下にはやまほどのカラフルな宝石が

埋もれていることを知るのである。

 

 

誰もが同じ、この人間の世界に住む中で

 

幸せな人間とそうでない人間に分かれるとしたら

 

それは「砂利」に不満を持ちながら

「宝石」が敷かれた海辺がどこかに存在するのではないかと

幻想のなかで生きつづけるか

 

 

それとも砂利の下はターコイズやラピスラズリや
ローズクォーツやクリスタルで溢れかえっていることに

「気づいていく」かの違いくらいなものである。

 

 

 

 

そして実はとうの昔から

この地球に人が現れるもうずっとまえから

 

その宝石が、いまかいまかと

あなたに気づいてもらえるか待っていた、

それだけのことを

 

 

あなたがついに、知った時

 

 

まずはとても、恥ずかしくなるだろう

 

 

「何を見ていたのだろう」と

激しい後悔の念に襲われる

 

 

そのあと「ごめんなさい」

見ていなかったのはわたしだったのと

 

あふれる涙とともに

ひれ伏して懺悔したくなるだろう

 

 

そうしてひとしきり味わいきると

 

そこにそうして健気に無垢に、

佇んで何も言わずに待っていてくれたことに

 

 

とめどない感謝がわいて

 

 

「感謝」でひとはこれほどまでに泣けるんだ

と生まれて初めての体験をするかもしれない。

 

 

 

 

そのあと、最後に

もう言葉にしつくせないところに行き着いたとき

 

 

あなたは

 

「あいしています」と言わずにはいられなくなる。

 

 

 

 

 

拾うちから、

 

 

それはあなたをただ、幸せにする

 

 

 

 

拾うちからで、

 

あなたは「愛」に辿りつく。

 

 

 

 

拾っていくためには

気づいていけなければいけない。

気づくためには

そのためのスペースを作らねばいけない。

 

 

あなたの全身を侵した傷をまず

癒していかなければいけない。

 

癒すためには

まず

 

自分でその道を、選択しなければいけない

 

そして選択するためには

 

 

 

まず

 

 

「幸せ」になることを

あなたは決めなければいけない。

 

 

 

プロセスは、

道のりは

複雑なようにみえて

 

とてもとても、

シンプルで

 

 

そして行き着く先もまた、

おどろくほどにシンプルで

 

 

ことばにならないことを

 

覚えておきなさい

 

 

 

 

最後には

あなたを傷だらけにした張本人にすら

 

 

「愛と感謝」で

溢れてやまないところに来る。

 

 

 

 

そのときあなたのなかにはもはや、

 

「幸せ」とか「愛」の定義すら

 

 

必要なくなるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

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