-目に見えない価値-値段設定

 

 

 

昨年12月分スリスハッチ向けに再投稿♪

 

 

 

わたしは過去に、目に見えないものに
お金をかけることができませんでした。

 

 

聡明な教師は、探せばいくらでも無料で
ありがたい助言をいただける方はいましたし、

年上の信頼できる友人に相談を持ちかけ、
自分が苦しみから逃れるために相手に依存したこともあります。

 

本とか DVDを読んで、最小限の経済的な投資で
自分が大きなものを得ようと必死でした。

 

 

だから、

高額なワークショップに行った友人に、
腹黒く近づき

「どんなことを話したのかおこぼれを預かろう」

と思う気持ちもよく理解できます。

 

 

 

でも、今、自分が払うほうも
受け取るほうもリアルにやってみて、わかること。

それは、

 

 

 

実際にお金を払うか払わないかは別として、

「お金を払ってでも会いたい」と思えるひと

と、濃い時間を過ごすことは

 

 

厳選に厳選を重ねて

自分という世界を自分の大好きなものや人だけに

囲まれて創造してゆく

自分をたいせつにすることそのものであるということです。

 

 

 

 

そして、そういう方たちとの時間は、
かけがえのない楽しいものになります。

 

 

 

 

 

最近は(2016・7月現在)

ほとんどひとと話している時間、

わたしはお金を受け取っていますが、昨年から今にかけて、

「まいさんと友達として話したい」と思われることに対する

距離感に対してずっと向き合ってきました。

 

 

「わたしと話す時間」

に価値を見出してくれて、

 

「カウンセリングを受けにいきます」と遠くから足を運んでくれるみなさん。

 

 

 

そういう時間は、わたしにとっても、
かけがえのないものであり、相手は相手で
たくさんのことを持ってかえることができるのです。

 

 

 

普通にお茶をして、ランチをすることだってできそうな相手に
見られることももちろんあります。

 

そういうときは、

もう自分が同じくらい逢いたい相手としか

ほとんど話をしなくなりました。
(しごとはもちろん別。一緒に何かやりたいと思えるひとにしか基本お願いしません)

 

 

 

 

 

○元友人の相談を聞く時、お金は発生するか

 

あるとき、もともとセラピスト仲間の友人から

「会って話したい」とかなり久しぶりに

連絡があったのち、すごく嬉しくて、
楽しみだなあと思いながら待っていることがありました。

 

 

でも自分の中にある正直な感覚に目を向けていくと、
彼女が、「わたしと会うことで気づきを得たい」と
感じていることも、

「わたしを尊敬している」という
言葉からも、

 

お互い今の時点だけの立ち位置をみると、

「完全な対等」ではないということがわかっていました。

 

そこで、わたしはオエオエしながら、
勇気をだし、

 

「セッション代をいただいてもいいかな」

と伝えました。

 

 

 

 

今苦しんでいるその状態から抜け出すための
サポートに、仲間に対して
金額はさておき、お金を払う気持ちがあるか
という、

そこにどんな価値を見出しているのか

確認する作業でもありました。

 

 

 

 

 

散々書いているとおり、

わたしは当時忙しく、

なんどかそれで失敗したため、

 

 

彼女にとっても自分にとっても、
意味のある時間になるように

そしてお互いがどういうつもりで
「会って話す」のかを、

 

きちんとクリアにしておく必要があったのです。

 

 

 

 

そして、彼女は

 

「お金を払ってまで今は会いたくないから」

「仲間としてまた会える日を待っているね」

 

と言いました。

 

 

初めての出来事だったので、
わたしは、1日それで落ち込みました。

 

 

「自分にはそれだけの価値がないんだ」という
自己否定や自信のなさからくる感覚に加えて

 

「大切な友人」をひとりなくしてしまったという
孤独感と恐怖感に

 

これは「自分の奢りなのだろうか」と問う

激しい吐き気に

重たい体を引きずる1日を過ごしました。

 

 

 

その週は、値上げと同時に
全然満席にならないことに対して

もうひたすら自分に集中することの戦い。

 

エグい酷な時間を自分に課したわけです。

 

 

 

自分にはやっぱりそれだけの価値がないのだ、という不安
自分で決めたことをくぐり抜けるだけの精神力を
必要とするとてつもなく長く感じる時間
実際に満席にならなかったときに
それを真摯に受け止めなければという恐怖

 

 

 

 

同時に、
数少ないけれどもそれでも来てくださる
わたしに会いたいと言ってくださる方々を
大切にできていない、

その不安のほうにばかり
目がいきがちな、ぶれている自分自身に対する嫌悪感。

 

 

思いもよらぬタイミングで
ほかのネガティブな出来事もあったので、2重にも3重にも
のしかかる重さに

 

押しつぶされそうになりながらの友人とのやりとりでした。

 

 


 

 

○その後。2016夏。

 

あれからいろんな体験を繰り返したのち

 

わたしはもっともっと

楽にお金のやりとりをできるようになりました。

 

自分が損をして、うんうんと一生懸命話をきいて

お金にならない時間も

 

友達のように楽しくお話をさせてもらって

しっかりとお金を受け取れる時間も

 

毎回その都度自分と相手にとって何がベストなのか

それを模索しながら、コミュニケーションをとって

値下げをしたり値上げをしたりして、

今に至ります。

 

 

総合的に自分にとって心地いいバランス

になっている現在は、

 

使うほうも受け取るほうも

どんどん循環が生まれていて

 

もともと友達だった人の相談を聞くことももちろんあれば

お金を受け取ることもあり、

 

正解はないことを知りました。

 

 

 

 

セラピストに限らず、

「目に見えないもの」を商品にする、

「自分自身」を商品として活動していくために

 

知っておくべきことも

経験しながら学んでいくことも

山ほどあるのではないかな

 

とそう思います

 

 

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